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因果関係の誤謬

今日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「芸術のための芸術、学びのための学び」を読みました。

「知識には方向性がある」と著者は述べます。オプションを行使する上ではある程度の知識が必要とされるわけですが、知識が誤っていたら意味がないわけです。知識の誤りの一つに「方向性の誤り」があります。

次に、因果関係の方向性について、証拠を見てみよう。お勉強で得た知識が富をもたらすというのは真実なのか?元世界銀行エコノミストのラント・プリチェットによる調査をはじめとして、本格的な実証的調査の結果によれば、国全体で教育水準が上がっても、所得が高まるという証拠はないという。だが、その逆は明白だ。

因果関係には方向性があります。時間的に先なのか後なのか。もちろん時間的な前後関係だけでは、必ずしも因果関係があることにはなりません。また複雑系ではそもそも「因果の不透明性」があります。

このことから、因果関係があるか分からないのに因果関係があると思い込んでしまう。そのような経験は誰しも一度はあるのではないでしょうか。

教育→富と成長なのか、それとも、富と経済成長→教育なのか。その証拠を確かめるのはいとも簡単だ。目の前に転がっているからだ。富と一定の教育水準がある両方ともある国々を調べ、どちらの条件が時間的に先なのかを考えればいい。

「教育→富と成長なのか、それとも、富と経済成長→教育なのか」

この問いはとても興味深いです。どちらが先で、どちらが後なのでしょうか。

1960年、台湾の識字率はフィリピンよりもずっと低く、ひとりあたりの収入は半分だった。現在、台湾の収入はフィリピンの10倍だ。同じころ、韓国の識字率はアルゼンチンよりもずっと低く(アルゼンチンの識字率の高さは世界有数だった)、ひとりあたりの収入は約5分の1だったが、現在ではアルゼンチンの3倍だ。さらに同じころ、サハラ以南のアフリカでは識字率が急上昇したが、生活水準は下がった。同じような例はいくらでもある。

教育水準が高い国が、その後も富と経済成長を生み出したのであれば、格差は一向に縮まらないはずです。一方、例示された事実からは、教育水準が低い国が、富と経済成長で逆転している。これはつまり、教育→富と経済成長というのが時間的順序であることを意味しています。

翻って、「経済成長のために教育に力を入れる」との意見もあるわけですが歴史的には違う、ということなのでしょうか。

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