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多様な意味を引き出すために文脈を変える

今日から『匠の流儀 - 経済と技能のあいだ』(編著:松岡正剛)より「第2章 日本の経済文化の本来と将来3. 編集的日本像」を読み進めます。それでは一部を引用します。

 それとともに、日本の中に潜んでいるもの、あるいは脈々と継承されているもの、または継承され難くはなったけれどもかろうじて各地に残っているものを、もう一度取り出していく必要もあるのではないかと思います。
 たとえば、私たち日本人は、もともと「カセギ」と「ツトメ」という二つをもっていました。いまはこれが一つになって、「おツトメはどちらですか」と聞くと、「三菱です」とか「JALです」というふうに答えるわけですが、かつての日本ではそれはカセギの話であって、「ツトメ」というのは、本来、村落共同体のなかで、お祭りがあるとか、堤防が決壊したとか、赤ちゃんが生まれたとか、天然痘が流行るとかいったときに、一肌脱いで何かを果たしていくことでした。いまの「ツトメ」は、営業利益を上げることや、企業の社会的責任やコンプライアンスに包まれてしまっていますが、本来はカセギで半人前、ツトメで半人前、両方を果たして初めて「一人前」と呼ばれたわけです。
 このような日本がかつて抱えていたさまざまな活動性や仕組みを人格的にパーソナライズすると、「匠」ということになると思います。「匠」というのは職人の匠だけではありません。宗教の匠、政治の匠、あるいは武芸の匠というように、いろいろな匠がいた。そう見たほうがいいと思います。

かつて「カセギ」と「ツトメ」は違う意味をもっていた。そのことを知り、言葉の起源をさかのぼることで、言葉をとおした世界の見え方が自分の中で変わっていくような予感がしました。

「勤め先」という言葉からは所属する会社・組織を連想する人が多いのではないか、と思います。一方、著者が述べる「ツトメ」の意味合いが濃く反映されている言い回しとして「ツトメをはたす」があるように思います。

ここでいう「ツトメ」は「自分にかせられた使命」と読み替えることができそうです。あらためて考えてみると、言葉から引き出される意味合いは言葉が使われる文脈(言い回し)によって変わるのだということに気づきます。

「多様な意味を引き出すために文脈を変える」ということ。

また「日本がかつて抱えていたさまざまな活動性や仕組みを人格的にパーソナライズすると、「匠」ということになると思います」と著者は述べます。

「活動性や仕組みを人格的にパーソナライズする」とは、はたしてどのようなことなのでしょうか?

今回引用していませんが、著書は、リーダーとしての「将軍」や「天皇」を例にあげています。

「人格的にパーソナライズする」というのは、「使命を担い、はたすこと」を人に課すということ。その人が周囲の想いや期待を受け止め、導く「器」になること。このように考えられないでしょうか。たしかに「ツトメ」です。

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