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細胞の気持ち〜目の前に全霊を傾けることが全体の調和をかたち作るためには?〜

身体を形づくっている「一つひとつの細胞」の気持ちになってみる。

細胞はどこまで全身のことに思い巡らせているのだろう。

物理的に、情報的につながりのある近くの細胞との瞬間瞬間のやり取りに、それこそ全霊を注ぎ続けていて、遠く離れた細胞、ましてや全体のことを考えることなど全く思いもよらないのかもしれない。

今の自分と、近くの細胞に集中する。

その積み重ね、連鎖が循環して全身の調和が保たれている。

人間もまた細胞のように、身近な人のことに全霊を傾け続けていると、その連鎖が巡りに巡って世の中に調和をもたらすのだろうか。

人は直接出会ったことのない、顔の見えない誰かにも想いを馳せることのできる想像力を持ち合わせている。

現在を生きる人、過去に生きた人、あるいは未来を生きるであろう人。

細胞には、確率的に起きる「誤り」や「ゆらぎ」を修正する力がある。その力は目の前に全霊を傾ける中において発現している。

人も全霊を傾ける力、そして想像力を重ね合わせれば、同じように「誤り」や「ゆらぎ」を修正していけるはず。

あれこれ考えなくとも、自然と自律的に調和へ向かう「万物のかたち」とはどのようなものなのか、そのあり方を考えてみたい。

恋は盲目と言いますが、相手の色々なことが見える様では、ほんとにほれては居ない証拠です。案外めくらには、私達の解らない事が見えて居るのかも知れません。

白洲正子『たしなみについて』

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