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「意味を固定化させない」ということ

今日も引き続きミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「食器」を読みました。本書は一旦これにて読み終えます。では、一部を引用します。

 人が家の持ち物を大切にする理由としてあげたものは、ある点ではなじみのある、また別の点ではまったく予想しなかったような、都市住民の生活の意味を詳細に明らかにしてくれている。それは、直接的経験と楽しみの追求が重要であるという生活感覚である。同時に、人びとは過去のよき時代を思い出そうというほぼ同程度の強い願望、とりわけ親族と一緒に経験した関係を保持しようとする強い欲求を感じている。
 調査結果が示すもうひとつの一般則は、人びとが物に意味を付与する際の、したがって物から意味を引き出す際の柔軟性がいかに大きいかということである。ほとんどすべての物が、一連の意味をあらわすものとなっている。それは、物の物理的特徴が意味の種類を規定するのではなく - もちろん、これらの特徴はある特定の意味と結びつきやすくしている面はあるものの - 、文化の象徴的慣習が、ある特定の物との相互作用で得られる意味を絶対的に決定するということでもない。少なくとも潜在的には、各人が自身の生活経験から、意味のネットワークを発見し、形成することができる。
 どのカテゴリーも、それぞれの意味分類に含まれるある意味を伝える役目をしている。テレビを、思い出を担うものとして大切にしている人も一人いる。他に、植物や絵画、彫刻を実用的な理由から選んでいる人もいる - これらは、物と意味のもっともありそうもない結びつきである。それ以外の結びつきは、すべて最低でも二人以上の人からあげられている。この意味創出過程は、以前からの文化的習慣によって完全に決定されるわけではない。

本書を読みながら「モノの意味」を通して「意味とは何だろう?」と考えてきました。

それぞれの家庭にあるモノが「なぜ大切なのか?」「それが失われたらどのような気持ちになるか?」という問いを通じて、大切なモノの意味が様々なカテゴリーに分かれること、年代によってバラツキがあること、モノの特徴や機能に関わることもあればそうでないこともあること、などが明らかになりました。

「結局、意味とは何なのか?」という問いについて、自分なりに簡単に総括してみると、以下のような短いフレーズが浮かんできました。

意味は「結びつきの中にある」
意味は「直接的経験や相互的な関わりの中で"埋め込まれる"」
意味は「直接的経験や相互的な関わりの中で"引き出される"」
意味は「個人的」である
意味は「多様」である
意味は「共有」される
意味は「文脈に依存」する
意味は「言葉で説明できる」場合と「言葉で説明できない」場合がある

「少なくとも潜在的には、各人が自身の生活経験から、意味のネットワークを発見し、形成することができる」と著者は述べていますが、自分の生活の中で関わる様々な存在(人やモノ)、そしてそれらとの関わりが経験として蓄積される中で、意識的あるいは無意識的に意味が見出されてゆくのでしょう。

また「この意味創出過程は、以前からの文化的習慣によって完全に決定されるわけではない」とも著者は述べていますが、同じ文化の中で、意味は一点に定まるわけではない。「意味はグラデーションのように広がっている」と捉えても良さそうです。

意味は「一面的な見方をせずに固定化させないことが大事なのではないか」と思えるきっかけを与えてくれた本書は今後も大切な一冊になりそうな予感がします。

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