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自分に打ち克つこと、自然な差異化〜人間は文化として、皆が生きられる選択をしたということ〜

地面に立つ、横たわる。

私が通うヨガスタジオでは受講生が使うヨガマットが二種類ほど用意されていまして、いつもは少し硬めのマットを使っています。

今朝は久しぶりにやわらかいヨガマットを使ってみたのですが、立った時、横たわった時に地面から受ける力の感触が違うことを実感しました。どこかソッと私の重さを引き受け入れてくれるような、包み込むような感触です。

いつものマットはどちらかというと反発が強く、私の身体を押し返してくれるというか、励ましてくれるような感じがします。

7時半から始まる朝一番のヨガクラスは、朝一番だけあって同じ空間、時間を共有してヨガに取り組む皆さんがエネルギーに満ちています。

一緒に同じ動きを取りながら、呼吸を合わせていると、場の空気が一つになっていくというのか、皆さん一人ひとりが自分の動きに集中して、今できる限界をほんの少しでも越えようとされている。

一方、時には途中で呼吸が苦しくなったり、体調がすぐれずに途中で退室される方もいます。

そんな時は心の中でその方に向けて

「Nice try.」

と呟いています。

自分を乗り越えていこうとする、打ち克とうと挑戦されている。身体のしなやかさ、ポーズの深さは人それぞれ違っても、そこには他者との競い合いはありません。

重なりあいや同質性の中では、得てして生まれやすい比較や競争。

「他者に勝つよりも、自分に克つ」

「切磋琢磨」という言葉がありますが、人は人、自分は自分と距離を置きながらも良きところは互いに学び合う。自然な差異化を尊重していく。

「競争」ではなく「共創」へ。

そんなことを思った今朝なのでした。

よく、遺伝子研究が進むと差別を助長するという声を聞きますが違います。すでに差別のある社会では遺伝子のはたらきがわかると、能力が違うからという理由で差別が起きる危険性があります。けれども遺伝子の研究をしていると、今述べたように、ヒトならヒトという生きものとして生まれてくること自体が大変なことなのであり、生まれてきた人すべてが一様にその存在を認められていることが分かります。

中村桂子『生命誌とは何か』

そこには差異はあっても差別はあり得ません。実は他の生物の場合、その後に環境の中で生き抜く闘いがあり、不利な個体は生きられない場合が多いのですが、人間は私たちの文化として、皆が生きられるようにしようという選択をしました。実は、遺伝子から見た場合、すべての人に一〇個近いなんらかの変異があることがわかっているので、答えは一つしかありません。障害をもつ人も暮らしやすい社会のシステムをつくり、私たちの意識からも差別をなくすようにすることです。これが、ゲノム研究が教えていることです。

中村桂子『生命誌とは何か』

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