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聴覚優位〜内側から音の記憶を喚び起こすことの能動性〜

ふと、自分は「聴覚」が優位なのかもしれない、と思いました。

五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のうち、どれぐらいの割合でそれぞれの感覚を使っているかと言えば、一般的に「視覚が8割」と言われることが多いようです。

たとえば、私は過去にコンサート会場で聴いた、というよりも浴びた音楽を頭の中で思い返すだけで鳥肌が立つことがあります。その音楽には、会場の時間と空間、空気が含まれていて、その音の記憶に触発されるように空気の質感が身体の内側から立ち昇ってきたり、光景が頭に浮かんできます。

あるいは、文字をそのまま文字として捉えるよりも、声に出して何度も何度も読み返していると身体に響きが蓄積され、自然と呼び起こされることがあります。学生時代の校歌はいまだに歌詞も旋律も覚えていますし、仏教系の学校に通学していましたので行事で唱えていた般若心経もフレーズが自然と口をついて出てきます。

私は視覚情報よりも、聴覚情報(音)との相性がよいのではないだろうか、という意味で「聴覚優位」と述べました。ですが、人それぞれどの感覚が優位であるかは異なりますし、置かれた状況によってもどの感覚が優位になるかは変わってくると思います。私の場合、内側から呼び起こされる情報が「聴覚情報」が多いので、自分の一つの特徴なのではないかと思います。

「内側から喚び起こす」ことの能動性。喚び起こせる記憶の数はそれほど多くなくとも、喚び起こされる記憶がいつも新鮮に感じられる。その喜びを分かち合えたらと思います。

いつの日か頭の中に浮かぶイメージを再現性を持って外に取り出すことのできる世界がやってくるのかもしれませんが、外に取り出したことを分かち合いたいというよりも、人それぞれの内側にある秘められた記憶を人それぞれが新鮮に感じられることが大切なのではないでしょうか。

見えているからといって、それが事実だとは限らない。誰も眼で何かを見るわけではない。ただ、感覚で見ている。ほら、眠っているときの夢でも何かをはっきりと見るじゃないか。眼で見るわけではない。

白取春彦『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉』


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