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空(そら)と空(から)。

空(そら)と空(から)。

一般に、同じ漢字でも読み方が変われば意味も変わると思われていますが、じつは読み方の違いを超えた「通奏低音」のように共通した意味があるのではないかと思っています。

仏教思想においては「万物に実在性はない」という「空性」が説かれます。般若心経の中で「色即是空、空即是色」というフレーズを聞いたことがあるかもしれませんが、私たちに見えている個別性のある何かは「色」と表現されます。

それらに実在性はない(空)であるというのは、人は「自分が見たいように見ている」あるいは「見えるように見ている」ということではないでしょうか。人によって色は異なり、同じ物事でも様々な見方がなされる。唯一の真理は存在せず、すべては空(っぽ)である。

ヨガに取り組んでいると、呼吸が乱れたり、心身のバランスが整わないことがあり、様子を察したインストラクターの方が「リセットしましょう」と声をかけて下さることがあります。

なぜか今日、「リセットしましょう」という声が耳に届いた瞬間に「Reset」と英語に変換された言葉が頭に浮かびました。ResetはRe-set。Reは「再び」や「あらためて」などを表し、「Set」は「配置する」や「集合」などを表します。

「リセットする」とは「初期化する」という意味合いで捉えられていることが多いように思いますが、「Re-Set」に立ち返ると、「あらためて必要な要素を集めて配置しなおす」というニュアンスが感じられてきます。

過度な緊張を取り除いて、適度にリラックスする。呼吸のペースをゆっくりと長くしてゆく。あるべき物事を、あるべき場所へ。すると、次第に自分の意識は薄れてゆき、「空っぽ」になって全体が整ってくる。

そんなことを思った一日でした。

なぜ個体性をもった事物が他の個体的事物とつながっていくことができるのかというと、あらゆる事物が空を本体としているからである。個体性は空から生じ、空が個体性を包み込んでいる。それゆえに、あらゆる事物は空に基づいた同じ構造をしていて、その共通構造をもって他の事物と「相即」することができる。

中沢新一『レンマ学』

はじめにいったこのくにの人たち善行であるが、これは、大自然からじかに人の真情に射す純粋直観の力なのである。このくにに古くからいる人たちにはこの智力が実によく働くのである。それはたび重なる善行によって、情緒が実にきれいになっているからである。新しく来た人たちも絶えずそう心がけておけばだんだんそうなっていくのであって、自分にできないから他にもできないなどど速断すべきではない。人の真情にさす智力がよく働きさえすれば、その人を枢要の地位に安んじておくことができるのである。

岡潔『春宵十話』

われわれは通常、自分たちをとりまくものが「存在する」と思っている。机、家、家族、自分の身体などが、「たしかにある」と考えて日々を過ごしている。しかし、本当にそれらは不変のものとして存在するのであろうか。もしかすると、実際はそれらは存在しないのかもしれない。「もろもろのものは、実在性を欠いており、中味は風船のように空である」という考え方が、「空の思想」と呼ばれてきた。この思想はインド仏教において生まれた。それはすでに紀元前の初期仏教経典に現れているが、仏教の中心的思想となったのは二〜三世紀の大乗仏教の大成者竜樹によってである。彼の伝統を受け継ぐ学派は中観論者あるいは「空を論ずる者」と呼ばれ、中観派の思想はインド大乗仏教思想の根幹となった。

立川武蔵『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』

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