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香りの記憶、色彩(光)の記憶

「香りに対してどれだけ意識を向けているだろう」

そのようなことを思います。たとえば、体調を崩して鼻が詰まってしまうと香りが感じられず、なんだか世界から色が失われてしまったような気持ちになります。

あるいは街の香り。

電車の扉が開いた瞬間にふれる空気は街の香りに満ちています。街の香りは紐解いてゆけば、その街に暮らす方々の生活そのものとも言えます。

その土地の食の香り。料理に使われる食材の香りが重ね合わさり、一言では言い表すことのできない芳醇さを醸し出してゆきます。料理を味わうことは香ることでもあり、味と香りは密接に結びついています。

あるいは自然の香り。

都会の喧騒を離れて緑豊かな森林に足を運んでみれば新緑の香りが。太陽光が乱反射する海に足を運んでみれば青々とした潮の香りが。

香りには色彩(光)の記憶を呼び覚ます力があるような気がします。

さて、人間を取り巻く環境からは自然の風景も匂いもみるみる少なくなって人工性が強まり、人工的であればあるほど文化的だと思い込んだ時代を通過して人工物が環境の大部分を占めれば、自然の生々しさには恐怖しか感じられなくなる。人類史の始まりからヒトは自然を畏怖してきたし、作られた人工物に安心を求めた歴史がある。だが自然を畏怖と恵みの対象ではなく、敵とし、征服すべきものとしてからは、人工物への依存体質が一方的に進みました。そしてその依存こそが新しい文化の匂いでもあった。

小池博史『からだのこえをきく』

嗅覚は発生学的には非常に古い系に属し、とても野生的な感覚なのが、視覚など他の感覚器官の発達があったため、他の動物よりも劣ってしまったのだと言われています。ここ五十年間を見ても、他から得られる情報が加速して圧倒的なほど増加し、人工物への依存度がきわめて高くなり続けていることを思えば、嗅覚の必要性はさらに落ちているだろう。ところが食文化の中核である味覚は、香りが失われてしまえば味もなにもないことになるのであって、嗅覚はより文化の原初性を嗅ぎ取っているきわめて重大な感覚と知れるし、よって味覚自体も鈍感になっているはず。

小池博史『からだのこえをきく』

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