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個体としての生物は死しても、「システム」としての生物は死なない〜受け継がれる匠の技を通じて〜

「生物はみな死ぬのだろうか?」という問いを立てると、どことなく「否」と答えたくなってしまいます。

個体としての生物は、生まれた瞬間から成長し、そして老いて、やがて死に至ります。一方、バーチャルな生物・生命としての「組織」は、個体としての生物の寿命を超えて生き続けることができます。

日本にある「西暦578年」に創業された会社が、今尚その活動を続けていることをご存知でしょうか。社寺建築の設計・施工・文化財建造物の復元、修理等を行う「金剛組」がまさにその会社です。

宮大工の技が伝承され続けて今日に至る。その流れは生物が生殖細胞を通じて次代に生命を引き継いでゆくことと重なるわけです。宮大工の方々を一つの細胞として捉えれば、「匠の技」とはまさに細胞一つの活動、あるいは細胞と細胞が相互に協力して織りなす生命活動といえるように思います。

金剛組には専属の宮大工によって結成する「匠会」という職人集団が存在しています。金剛組が、1400年余りの間、弟子から弟子へと伝えてきた技を、さらに次の世代に伝えること。これが、匠会の最大の目的です。「匠会」では、たがいに教えあい、学びあって、ともに若い大工を育成していきます。また、日頃の交流を通して、お互いの親睦を深め、切磋琢磨し、金剛組の宮大工としての一体感を高めていきます。

金剛組ホームページより

組織、それは国や会社という形を取るかもしれないですし、あるいは終わることのないプロジェクトという形を取るのかもしれない。それらは生命活動という大きなうねり・流れであり、あるいは流動的な型でもある。

その大きなうねりの中に、有限の寿命をもつ個体(人間であるかもしれないし、そうでないかもしれない)がまるで細胞のように新しく入っては、旧きものが押し出されていく。その終わりなき新陳代謝を通じて、生命は老いや停止に抗い、調和的な流れを保ち続けている。

そう思うと、旧き細胞が新しい細胞に押し出されてゆく流れを作ることは「自然」の摂理というか、生命原理そのもの。

人間のつながり・社会は様々な制度や慣習、インフラなど人工物の束としての側面があるわけですが、今こそ確かな生命原理を吹き込むことが求められているのではないか。そんなことを思うわけです。

私たちは、「なぜ生物はみな死ぬのだろうか」と疑問に思っている。ところが、これは大間違いで、生物は基本的には死なない。本章第一節でも述べたが、三八億年前に生物が誕生して以来、オートポイエティックなシステム自体は今もずっと生き続けており、システムそのものとしての生物は不死なのである。人間は確かに死ぬが、死ぬのは人間の個体であり、人間にも細胞レベルでは死なないものがある。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

もちろん、強制的に死なせることはできる。オートポイエティックなシステム云々いってみたところで、現在いるすべての生物を物理的に殺してしまえば、それでお終いである。人間の場合、細胞レベルで考えれば死なないものがいくつかある。そのひとつが生殖細胞である。たいがいの生殖細胞は死ぬが、すべての生殖細胞が死ぬべく運命付けられていると人類は絶滅してしまうので、死なない生殖細胞もいる。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

DNAというレベルで考えれば、子供を作れば男性も自分のDNAがその子供に入る。しかし、DNAは細胞ではなく、ただの物質にすぎない。細胞はすべて母系なのである。ミトコンドリアは、男性から子供には入らない。(中略)このように、女性は自分のミトコンドリアを子供に伝えることができるが、男性では細胞の中のミトコンドリアは行き止まりになっていて本人が死ねば終わりである。ミトコンドリア以外の細胞内小器官もすべて母系由来である。細胞質の中でのオートポイエティックなシステムを生命と考える限り、生命は母系でしか伝わらない。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

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