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自律性と「ゆらぎ」〜論理では割り切れないことを乗り越えてゆく〜
生命、生物について学んでいると「生物と機械の違いは何か?」という問いが投げかけられていることが多いように思います。
一つの違いとして「自律性があるか・ないか」という回答があります。何をするかを「外から与えなければならない」とき「自律性がない」と表現し、自分で勝手に動くとき「自律性がある」と言われます。
ですが、人工知能(AI)により、いわゆる「機械」が人が命令を与えなくとも自ら目的を達成するために動き、その範囲が多様化しています。すると行動に際して「命令を与える・与えない」という点では生物と機械の違いは縮小しています。
人間も、誰かから命じられないと動けない状況に直面することがあります。たとえば、ショッキングな状況に直面すると「恐怖」や「驚き」などの感情からその場から動けなくなってしまう。また、味わった「感動」や「喜び」が何か新しいことや困難なことへの挑戦を促すこともあります。
感情の「ゆれ」が行動の促進、抑制の両方に作用していることを足掛かりにすると、自律性とは「ゆらぎ」に似ているように思えてきます。
迷ったり、悩んだり。割り切れないことに何とか折り合いをつけていく。
論理的には説明できないことも乗り越えてゆける。それが「自律性」の根幹なのかもしれません。
まず、機械と生物とは何が違うのかを考えてみなければならない。両者には似ているところもある。自動車でも生物でも、外部からエネルギーを取り入れ、それを何かに変換して出力するという構造になっている。ではどこが違うのか。さしあたって違うところは、生物には自律性があるが、自動車には自律性がないことだ。
当の生物がそれを理解しているかどうかは別にして、生物とは、外から何かをしなくても自分で勝手に動く。自動車は運転する人がいてはじめて動くものである。自動車に限らずコンピュータでも同様で、人が何かを入力してはじめて動き、コンピュータ自身が何かをすることはない。生物と機械の性能を比べてみると、自律性のあるものが生物で、自律性のないものが機械であるといえそうである。
自律性がありさえすれば生物かというと、そうともいえない。太陽光をエネルギー源として動く機械を考えてみよう。集光器があって、適当な制御プログラムを組み込めば、勝手に動く機械を作ることはできる。しかし、その場合でもこの機械は人間が組み立てたものである。最近は自動運転の車も開発されているが、作ったのは人間である。この点が生物と機械の一番大きな違いであり、機械は、自分を構成しているものを自分で作らないが、生物は自分で作る。もちろん、どちらも物質でできているという点では同じといえば同じだが、機械はシステムを自分以外の他者が作り、生物はシステムそのものを自分が作る。
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