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始める前に終わらせる、ということ。

誰もがみな、命を宿した瞬間から刻一刻と変わり続けています。身体も考え方も感じ方も。仕事や人間関係など、自分を取り囲む環境も変わり続けていきます。

何かとの「つながり」や「関係」を変えていきたい。そう思ったとき、何をすればよいのでしょうか。今までの関係性の上に新しい何かを重ねてゆくのか、それともゼロからやり直してゆくのか。

今でも続いている関係、距離が離れてしまった関係。自然と離れていったのか、あるいは意識的に離していったのか。自分が変わり続けてゆく、自分と関わっている人も変わり続けてゆく。

自分の意識、使える時間が有限であることからすると、今までと同じ密度での人間関係を保ち続けながら、さらに新しい人間関係を築き上げ続けてゆく、というのはどこかで無理がくるように思います。

自分が使える意識や時間のように、どのような関係においても不変な物事(不変量)、保存されること(保存則)の制約があり、その中で折り合いをつけてゆく必要があります。

とすれば、新しく何かを始めるためには、今までの何かを手放す必要が出てくるわけです。難しいのは「目に見える何か」を手放すことよりも、「目に見えない何か」を手放すこと。こと人間関係の場合は、相手に対して今まで抱いていた感情や、付き合う中での態度や姿勢など。

こうしたことに気づくためには内省する機会、他者への想像力、率直な意見を(聞くではなく)聴く受容性など、自分を固くせず「しなやか」であることが必要だと感じます。

父と「家族とは何か?」について対話する機会があり、対話する中で感じたことを綴ってみました。「親子」という関係を超えて「人と人」という関係の中で対話をする、ということ。

ある人いわく、「玄米を200回噛んで食べる。砂糖をとらないようにする。そうしてみると、躰の神経の伝達が整って、いろいろなことに敏感になる。かみのとおるみち、と書いて神経っていうんだな」。

高木正勝『こといづ』 ちから

イメージできたことは、だいたい実現される。この人に会いたいな、いつか会うだろうな、と想っていた人とは、だいたい出会うものだし、こういう暮らしがしたいなと想っていればそうなる。今、僕が山の村で暮らしているのも、ちょっと前の過去に僕がイメージしたから、そうなっている。このイメージの力ってなんなんだろう。想像して、望んで、引き寄せる、もしくは自ら近づいてゆく。

高木正勝『こといづ』 ちから

レヴィンによれば、ある思考様式・行動様式が定着している組織を変えていくためのステップが、この「解凍=混乱=再凍結」ということになるですが、ここで注意しなければならないのは、このプロセスが「解凍」から始まっている、という点です。というのも、この「解凍」というのは、要するに「終わらせる」ということだからです。私たちは、何か新しいことを始めようというとき、それを「始まり」の問題として考察します。当たり前のことですね。しかしクルト・レヴィンのこの指摘は、何か新しいことを始めようというとき、最初にやるべきなのは、むしろ「いままでのやり方を忘れる」ということ、もっと明確な言葉で言えば「ケリをつける」ということになります。

山口周『武器になる哲学』


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