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対立から循環へ〜ケルト文化における生命循環の思想〜

世界各地にはその土地に根付いた音楽が存在しています。風習や文化と一つになって世代を超えて受け継がれた音楽には固有の香り、息づかいがあり、たとえその土地で生まれ育ったことがなくとも、その人の心を揺さぶる力があるように思います。

その中で「ケルト音楽」は私が心惹かれる音楽の一つです。時に風がそよぐように爽やかで。時に穏やかで牧歌的で。時に躍動的で生命的で。

あとで言葉を引くように、ケルトの伝統では「生と死、あの世とこの世、光と闇を二項対立ではなく、生命のサーキュレーション(循環)として捉える」そうです。

私が初めてケルト音楽にふれたのは、リバーダンス(Riverdance)というアイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品でした。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、多様な民族との交流をモチーフとした作品です。

音がたえまなく重なり合い、色彩を変えながらフレーズが途切れずに続いてゆく。まさにケルトの「循環」という精神が音楽に根付いているのだと認識を新たにしました。「循環するとはどういうことか?」という問いを音楽を通して体感する。

私たちは日常生活の中で「二項対立」的に物事を考えることにいささか慣れ過ぎてしまっているのかもしれません。世界の文化や音楽だけでなく、対立構造の枠に気付いて抜け出すきっかけは他にもあるように思います。

「対立から循環へ」ということ。

人間は「過去・現在・未来」に同時に存在することはできない。しかし冬を目前にしたヨーロッパのある民間の祭日では、その一年の始まりの前夜に、「生まれること、生きること、死ぬこと、再生すること」のすべてを、一夜にして目撃できるという。それは、厳しい北ヨーロッパの風土に生きる人々の実感に根ざしていた。「万霊節」と呼ばれるケルトの祭「サウィン」である。今日イヴェント化されている「ハロウィン」の起源は、このケルト伝統の「サウィン」にある。

鶴岡 真弓『ケルト 再生の思想 ─ハロウィンからの生命循環』

すなわち「サウィン/ハロウィン」は、元より「生と死の対立」を煽る夜なのではなく、祖先や、逝った親しい仲間と、魂を交流させて、闇の季節の安寧と、闇に沈んだ者たちが「闇から光をみいだす」ことを願う夜であった。(中略)ふだんは「この世」か「あの世」かのどちらかに縛られている存在同士が、両方を行き交う時空が現れる夜のおかげで、サウィンは私たち人間が、「死者を慰める」ばかりでなく、生きる者たちこそが、「死者たちから生命力を贈与される」、恵みの夜ともなる。

鶴岡 真弓『ケルト 再生の思想 ─ハロウィンからの生命循環』

なぜ、黒々とした「サウィン」の夜に、生者にこのような「恵み」がもたらされるのかといえば、この特別の夜に蘇る死者とは、過去の存在などではないからである。死者は生者が同情する弱い存在であるどころか、言葉も行動力ももち、時空を超えて何か大切なものをもたらす導き手である。フィネガンのように、「死んだ男」は、ケルトの想像力においては「過去に留まる幽霊」ではありえず、それどころか過去・現在・未来を行き来して、この世の者たちに何かをもたらすスピリットなのである。「生と死」や「あの世とこの世」、「光と闇」は二項対立なのではなく、常緑の「循環」する生命のサーキュレーションとしてあることを、「サウィン」というケルトの伝統は、教えてくれる。

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