言葉が変わると何が変わるだろう?
「日頃使う言葉が少しずつ変わってきた気がする」
そのようなことを思っています。
最近、時間のペースをゆっくり穏やかにして、自分の外側のあわただしい時の流れに流されるのではなく、自分の内側に流れる時の流れに乗るように過ごしています。
すると、不思議とふれたくなる言葉、読みたくなる本、一緒に時間を過ごしたい人、場所も変わってくるのです。
先日、「沈黙」とは「語らずに語ること」であると綴りました。
それからというもの、たとえば歩いていると、ふと「この街は何を物語っているのだろう?」と問いが浮かぶようになり、建物の記憶、街並み、歩いている人の表情など、ぼんやりとしか見えていなかった、捉えていなかった出来事に自然と意識が向いてくるようになった気がします。
思いもよらず発した言葉、浮かんだ問いによって、驚くほど世界が鮮やかに感じられるようになってくる。それは何も真新しい言葉ではなくて、むしろ使い慣れた、使い古されたような言葉かもしれません。でも、言葉の意味は流動的であり、言葉の可能性の一面しか捉えられていないことをもって、使い慣れた、使い古されたというのは言葉の可能性を閉ざしているようにも思います。
ですから、言葉や意識の変容によって世界が鮮やかに感じられるようになってくる。そんな体験をこれからも手探りで見つけながら、分かち合えたらと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?