こころを"環境と行為の関わりのプロセス"と捉える〜生きものの行為を考えるために、生きもの"だけ"から発想しないということ〜
「こころは環境と行為の関わりのプロセスである」
アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンが提唱した「アフォーダンス」という概念に関する書籍『アフォーダンス入門 知性はどこに生まれるか』で記されている言葉です。
Wikipediaを参照すると、アフォーダンスは「環境が動物(有機体)に対して与える意味や価値」と述べられています。関わりとは「時間的な変化を伴う相互作用」であり、その中で個々の動物にとっての固有の価値や意味が引き出されていく。
私が時折考える問いの一つに「こころとは何だろう?」があります。
さらに「もし世界の時間が止まったら、そこにこころはあるのだろうか?」という派生した問いも浮かび、「こころが時間を伴う現象だとするならば、時が止まった世界では、こころは存在しないのではないか」と感じます。
一方、あとで言葉を引くように「生きものの行為について考えるためには、生きものだけから発想していてはだめだ」と述べられており、たしかに「こころ」について考える時に自分を取り巻く環境のことを無意識のうちに捨象しているのかもしれません。
ここでふと、ヨガに取り組んでいるとき、自分自身に働きかけて、自分自身と相互作用が連鎖していると考えると、「自分自身も環境に含まれるのではないか」という問いが浮かんできました。とすると、自分という存在は閉じているのではなくて環境に向かって開かれているのではないか。人は自分自身とつながっている時にこころを感じているのではないか。
ふと降りてきた一つひとつの問いを大切にしたい。そのように思います。
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