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「ついつい」をデザインする

今日は大竹文雄さん・平井啓さんが書かれた書籍『医療現場の行動経済学 - すれ違う医者と患者』より「ナッジ」という一節を読みました。一部を引用してみたいと思います。

医療における医師と患者の意思決定には、様々なバイアスが存在することを紹介してきた。このような意思決定の歪みを、行動経済学的特性を用いることで、よりよいものに変えていこうという考え方が「ナッジ」と呼ばれるものである。「ナッジ」は「軽く肘でつつく」という意味の英語である。
行動経済学的な手段を用いて、選択の自由を確保しながら、金銭的なインセンティブを用いないで、行動変容を引き起こすことがナッジである。(中略)ナッジは命令ではないのである。カフェテリアで果物を目の高さに置いて、果物の摂取を促進することは、ナッジである。しかし、健康促進のためにジャンクフードをカフェテリアに置くことを禁止するのはナッジではないのである。
また、行動変容を意識的に行わせるのか、無意識的に行わせるのかによってもナッジの作成方針は変わってくる。本人自身が行動変容を起こしたいと思っていても、コミットメント手段を新たに取ること自体も現状維持バイアスのために難しいというのであれば、デフォルト設定を変更することが有効になる。本人が明示的な意思表示をしない場合は、コミットメント手段を利用することに同意したとみなして、それを利用したくなければ簡単に利用を中断することができるようにすればいい。

伝統的な経済学が想定する人間像は「あらゆる情報を調べ尽くし、客観的に分析・評価し、自分の効用(満足)が最大となるように選択・行動する」というものでした。感情には左右されることもなければ、直観で決めることもない。とても理性的な人。

一方、行動経済学が想定する人間像は、選択肢が多いと引っ張られてしまう(アンカリング効果、極端回避性、同調効果)し、感情や直観で物事を決めるし、他者が喜んでいる姿を見ると嬉しくなるし(純粋な利他性)、他者に対して何かすること自体が嬉しい(ウォーム・グロー:温かな贈り物)など「より人間らしい」人です。

行動経済学では、こうした現実に近い人間像を想定したうえで「どうすれば私たちは望ましい選択・行動をできるだろうか?」という問いを立て、現実の行動を説明する理論を構築し、実際の実験・データによる検証を通して、様々な示唆を得ています。

強制力と損得勘定に訴えかける

伝統的な経済学では、行動を変えようとするときの手段として、①量的規制、②経済的インセンティブ、という2つが想定されます。前者の例としては自動車の排ガス規制(基準を満たさない製品は販売できない)など、後者の例としては「税」や「補助金」の交付などがあります。GOTOトラベルのように、ある行動を促すために「お得」に感じさせるわけですね。

こうした行動変容の仕組みは、一人ひとりが、情報を認知して「意識的に」「得か損するか」を判断した結果として、得になる行動を取るというのが、大きな枠組みです。特に、量的規制や課税はその手段としての「強制力」に特徴があります。

強制力に訴えかけるというのは「ギューッと縛られていく」ようなちょっとした息苦しさを感じるので、出来ることなら少ないほうが嬉しいです。

「ついつい」を磨く

一方、今回読んだ「ナッジ」とは「"強制することなく"行動変容を促す仕組み」と言えるのですが、素直に「面白い!」と感じました。

医療現場での意思決定における行動経済学の活用事例を紹介している本書では、ナッジの例として「臓器移植の意思表示」が取り上げられています。

多くの人が「脳死判定されたときは、(どちらかと言えば)臓器を提供したい」と考えている。

デフォルトが「提供しない」、つまり「提供する場合に意思表示する必要がある」日本では、実際に提供意思を示す人の割合は10%前後と低水準なのだそうです。

一方、デフォルトが「提供する」、つまり「提供しない場合に意思表示する必要がある」フランスなどの国々では100%に迫る水準なのだそうです。

この例から感じたことは、意思決定における「精神的なハードル」、つまり「認知負荷」を下げることが大事ということです。見方を変えると「ついついやってしまう」とか「変えるのが面倒だな」を上手く利用するということです。

ナッジの例として紹介されていた「カフェテリアで果物を目の高さに置いて、果物の摂取を促進すること」も、「ついつい」手にとってしまう状況をつくることで(無意識のうちに)直観的に望ましい行動を促すもの。

その意味で「ナッジ=行為のデザイン=ついついのデザイン」だなと思いました。

一つひとつの積み重ねがやがて大きな変化につながると考えれば、「ついつい」やってしまうことが自分にも他者にも社会にも将来の世代にとっても望ましいのであれば、それに越したことはありません。

そう考えると「ついつい」を磨くって大事だな、と。

「ついついやってしまうことは何だろう?」
「それは、自分にとって嬉しいことだろうか?」
「それは、相手にとって嬉しいことだろうか?」

毎日の生活がていねいになるヒントをいただきました。

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