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自由なのは独学者だけ?

今日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「7プラスマイナス2回、失敗する」「教育ママの観光客化」を読みました。

反脆弱性とは「一定の衝撃やストレスを成長や繁栄の推進力に変える性質」のことでした。では、どうすれば反脆くなれるのか?そのヒントが「オプション性」です。

オプション性は反脆さの仲介役。オプションは状況に応じて行使できる権利(選択肢)のことで、将来のダウンサイドは限定された一方、大きなアップサイドを得られる可能性のあるオプションを持つことで、反脆くなります。著者が「反脆くなるための戦略」をまとめているので以下に引用します。

①オプション性を探すこと。もっといえば、オプション性に従って物事をランクづけすること。
②できればペイオフに上限があるものではなく、ないものを探すこと。
③ビジネス・プランではなく人間に投資すること。つまり、キャリアを通じて6〜7回(またはそれ以上)方向転換のできる人を探すこと(ベンチャー・キャピタリストのマーク・アンドリーセンの手法のひとつ)。人間に投資すれば、ビジネス・プランのような後付けのつじつま合わせにだまされずにすむ。それに、そのほうが単純に頑健だ。
④バーベル戦略を取ること(その意味は各自のビジネスによる)。

新鮮だったのは上記③「ビジネス・プランではなく人間に投資する」です。

方向転換は「環境変化に適応すること」つまり「良いものを残して悪いものを捨てる」と判断して実際に行動すること、と言い換えることができるように思います。キャリアの方向転換は、ダウンサイドが限定的でアップサイドの大きな「正のオプション」を行使する、あるいはアップサイドが限定的でダウンサイドが大きい「負のオプション」を放棄すること。

なぜキャリアを方向転換しようと思ったのか。キャリアを方向転換する際に何を学んだのか。キャリアを方向転換した後で何を実践しているのかなど。方向転換に対して多面的に光をあてることが大切なように思います。

キャリアを方向転換しながら複数の専門性を兼ね備えた方々がいるように、キャリアの方向転換を重ねたからといって、必ずしも専門性に欠けることにはならないようにも思います。

だが、問題はもっと根深い。教育ママは子どもの生活から試行錯誤や反脆さを取り除き、子どもを生きた世界から遠ざけ、(自分の思い描く)現実の地図どおりに動くオタクへと変えてしまう。(中略)自由なのは独学者だけだ。それは学問にかかわることだけではない。人生を脱コモディティ化し、脱観光客化しようとする人たちはみな自由なのだ。

「自由なのは独学者だけだ」との著者の言葉が印象的です。反脆さの例示として、例えば「自転車の乗り方を覚える」があるかもしれません。

最初のうちは補助輪をつけて自転車を乗ってみる。その後で補助輪を外してみると、最初のうちは転んでしまうことがほとんどかもしれません。その後で傷を作りながらも練習を重ねて自由に乗りこなすことができたならば、「ストレスが成長につながる」意味で、試行錯誤には反脆さが備わっているわけです。

自転車の乗り方は人から聞くだけでは身に付きません。自らの身体的経験の中で会得するものですから、最後は「独学」です。

この世の矛盾のほとんどは、(政策の立案者のように)物事を単純化し、脆さを引き起こしている張本人が、合理性を引き合いに出すときに起こるのだ。

「理論が想定する世界観(モデル)」と「現実世界」の不一致が矛盾として現れる、ということだと解釈しました。システムが複雑になると「因果の不透明性」が表れます。システムを構成する要素同士のつながりが複雑化して「原因と結果」を明確に区別することができなくなります。

「理論が想定する世界観」を信じて予測する。「予測は正しい」と盲目的に信じる結果としてシステムが脆くなる可能性がある。批判的検証・実証を重ねて磨き上げられてきた理論の有用性は認めつつも、言語化・構造化されていない実践の中に存在する知の有用性も等しく重要であること。

「実践が先で理論が後」との著者の言葉を踏まえると、システムを反脆くしておき、ストレスが加わった際に素早く学習して適応することが重要なのであり、理論に当てはまるように現実を矮小化しないこと。

老子の言葉「識って識らないのが最上である」が重なります。

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