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ノー・プラン・デイ

朝起きてから夜まで、一日にやることを書き出す。

いわゆる「ToDoリスト」を、私は毎日作成している。
15分単位で作業を書き出し、時間が決まっているものは60分や120分などで設定する。

その目的は、効率よく作業や仕事を進めること。
もう一つは、一日を惰性で過ごさないことだ。

もちろん、予定と結果がズレることはある。
その時は、きちんと理由を考える。

時間の見積もりが甘かったのか?
想定外のことに時間を割いたのか?
それとも、本当はやりたくないことだったのか?

こうして、頭と体の一致を図りながらその日を過ごす。
気づいたことやアイデアは、忘れないうちにリストの脇に書き出す。

それを翌日の予定に加えることで、ミスは確実に減る。
製造業でいう「3M」、ムダ・ムリ・ムラのない生活へと、着実に洗練されていくのだ。

と、私は勝手に思っている。

まぁ、ここまでは多くのビジネスパーソンにとって、目新しいことではないだろう。

でも、それで人生がベストになるか、正直なところわからない。
なぜなら、人は機械ではないからだ。

効率と合理性だけでは、人間味を欠いたロボットになりかねない。
そんな訳で、「ノー・プラン・デイ」を設けることにした。

横文字にするとなんとなく洒落た感じはするが、何てことはない。
好きなときに、好きなことを、好きなだけする日だ。

そうは言っても、ミディアム・ダディ(ビッグではないがスモールでもない)の私に求められる役割は、まぁ、それなりにある。

お弁当を作り、食器を洗い、洗濯物を干す(しかも今日は2回分だったぞ…)。
宅配サービスを受け取り、購入した家庭用の中古パソコンを開封・設定する(これはけっこう面倒だ)。
夏の帰省の日程を母と調整し、押入れから扇風機を引っ張り出す。

これらを思いつくままにこなしつつ、その合間には心と体のルーティン・ワークをはさむ。
さらに、間隙をついてフライパンを手入れし、部屋を掃除し、冷蔵庫を整理する。
突然の来客ではないが、インターネット越しの問いかけにもきちんと答える。

ふむ。

プランなしでも、ちゃんとやることはできたではないか。
むしろ、先送りにしていたことを思い出した時にすぐできた。
いつもより長めの時間を割いたこともあるし、逆に分割してできたこともあるぞ。

そんな新しい発見が、いくつもあった。

ノー・プランも、たまにはいいではないか。
と、一人で充実感を味わいつつ、家族の帰りを待っていた。

そもそも、予定とは何なのだろう。

ヒト以外の動物にとって、予定という概念はあるのだろうか。
それは、あくまでも頭で考えている世界にすぎないのではないか。
それにばかりこだわっていては、想定外の時に体が対応できないこともあるだろう。

むしろ、頭で考えているから動けないこともある。
そういうことは、体に任せるに尽きる。
そこにこそ、動物として感じられる本来の楽しみが、隠されているのかもしれない。

頭でっかちの現代人へ。
たまには「ノー・プラン・デイ」を、楽しんでみよう。

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