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フロイトの文明論

「ここでまず、人間の文化について定義してみよう。文化とは、人間の生を動物的な条件から抜けださせるすべてのものであり、動物の生との違いを作りだすもののことである。だからわたしは文化を文明とは区別しないつもりである。」
ーージークムント・フロイト『幻想の未来』(原著1927年、中山元訳、光文社古典新訳文庫)

フロイトの言う「動物的な条件」の一部をジャック・ラカンは《想像界》として精緻化したと思います。《想像界》というのは、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』の言い方に従うと、「まったく存在しないものについての情報を伝達する能力」です。「見たことも、触れたことも、匂いも嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私たちの知るかぎりではサピエンスだけだ」(『サピエンス全史』上、河出書房新社)。所謂「認知革命」です。

注意したいのは、ホモ・サピエンスが認知革命を起こしたのは約70,000年前のことであり、認知革命以前のホモ・サピエンスも存在したと言うことです。ハラリはそのような言い方をしています。

人間が個人の欲望のままに生きたらどうなるでしょうか?欲しいものを好きなだけ奪い、気に入らない者を殺し、気に入った異性を好きなようにすれば、快感原則的な満足を得ることができます。「そうなればもちろん、人間にとって黄金時代が訪れることになる。しかしこのような状態は実現できるものなのだろうか。そもそも文化というものは、強制のもとで、欲動を放棄しながら構築されねばならないものではないのだろうか。」(フロイト『幻想の未来』)

個人にとっては「黄金時代」だとしても、問題は人間は一人で生活していないのです。皆がやったらどうなるでしょうか?無秩序な暴力の連鎖に陥る事は、火を見るより明らかですね。

文化は人間にストレスを与えます。比較的に少ない苦痛によって、破滅的な事態を回避するためです。けれど、この文化の齎すストレスに耐えられない人々がいます。それがフロイトの所謂「文化への不満」(1930年)です。フロイトが『幻想の未来』や『文化への不満』を書いていたのは、この「文化への不満」が実際に見られた状況が背景にあったのだと思います。ナチスに熱狂する人々ですね。いま同じ事が、アメリカの民主党政権でも見られています。文化のストレスに耐えられない人々が「文化への不満」を示して、破壊しようとしているのです。その帰結はナチズムであり、全体主義であります。

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