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文字創発の謎

(以前に書いたものの改稿です)

文明の成立をいつとするか、人によるが、私は文字の創発を重要な起点と考える。ホモ・サピエンス・サピエンスの所謂認知革命が七万年前、現存する最古の文字体系の成立が五〜六千年前とされるので、随分と遅い。今日の我々が見て《文字》と言えるものの以前に、人類が多くの記号体系を使用していたことが確認されている。文字体系の創発に繋がるものが《原-文字 proto-writing》と言われる。驚くなかれ、《原-文字》は言語情報を欠いたものであったろうというのである。はじまりの《文字》は言語の記述ではなかったのだ。

最古の《原-文字》は、現在のウクライナ南東、黒海近くのカメンナヤ・モグリャKamyana Mohylaという、旧石器時代の遺跡にある、石に、刻印されている。ペトログリフpetroglyphと呼ばれる。ペトログリフに言語的意味は認められない。フォルムの表れているものもあるが、なんだかわからないものもある。《文字》として成立するには《意味》と結びつく必要がある。ソシュール言うところのシニフィエsignifiéーシニフィアンsignifiantの照応である。子どもがぐちゃぐちゃと描いているうちに、フォルムが出現する。そこに言語との照応を見出す。書いたのは子どもではないかもしれないが、同様の過程を経たのではないか。なお岩に刻んだものをペトログリフ、岩に描いたものをペトログラフpetrographとして区分する。

ウクライナのカメンナヤ・モグリャ遺跡
ペトログリフの刻まれた石

古代メソポタミア文明にトークンtokenという、日用品や農産物を数えるための、粘土でできた小球であったり、円錐形をしたりしているものが確認される。トークンとは元来、しるし、象徴、記念品、証拠品の謂がある。球形をした粘土製のブッラbullaと呼ばれる容器に入れて保管したが、中のトークンを確認するのに、ブタの貯金箱を壊すかの如く、いちいちこのブッラを破壊せねばならなかった。ブッラの表面にトークンを表現する模様が記されるようになったのが、文字になった、という説がある。

古代メソポタミアのトークン
 ブッラ

或いはトークンはじょじょに印章のごときものになって、捺印するようになった。トークンにはコンプレックス・トークンと呼ばれる複雑な模様のついたものがあり、捺印しても十分に記録できなかったため、葦のペンで粘土板に模様を記すようになった。それが《文字》に発展したと言うのが、フランス人考古学者デニス・シュマント・ベッセラDenise Schmandt‐Besseratの「トークン仮説」である。

いずれにしても、トークンの例が示すのは、言語記号より以前に数字が存在した事実である。蓄えた富を数えるのに記号が必要だったのだ。聖書によく羊や山羊などの家畜が何頭かといった記述があるが、《原-文字》の表現と読むことができる。主が羊飼いという詩篇23やヨハネ福音書の記述も、羊が富でありその表現が《原-文字》だと考えれば、見方が変わってくるのではなかろうか。

《原-文字》から《文字》への転換に何があったのか。推測するより他ないが、単なる刻印あるいは言語活動と無縁の記号であったもの、エクリチュールécritureがシニフィアン性を帯びる、そこに密約がある。《原-文字》はシニフィエを内在していたのではあるまいか。シニフィエがシニフィアンに先行したのではあるまいか、などと言ったら、三島由紀夫に怒られそうだ。

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