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棄教について

自分は、信仰を捨てようと思ったことが、過去に1回だけ、ある。大学の歴史政治学の講義で、ウォーラーステインの「世界システム論」を学んだときのことだ。

どういう理論かというと、まあ、ひとことで言えば、巨視的な視点から、近代社会の動きを、ぜーんぶクリアーに説明できてしまうという、ちょーカミ理論。。。だから、神の存在を想定ぜずとも、すべて説明できてしまえるんじゃね? と思った瞬間、信仰がぐらついた。

その講義を担当していたのは、政治学者の篠原一教授。。。もう35年以上前だけど、あの時点ですでに、世界のヘーゲモニー(覇権国家)のポジションが、アメリカから中国に必然的に移るって、ウォーラーステインは予想してたんだから、スゴイよ。。。

そんな信仰がぐらついた自分を、立ち直らせてくれたのが、フランシス・A・シェーファーの『理性からの逃走』という本だった。

うっすい本だったんだけど、やっぱり、巨視的な視点から、しかし、信仰的な視点から、近代社会の動きをぜんぶクリアーに説明できてしまえるという、上を行く、ちょーカミ理論。。。

なので、思うんだ。。。自分は、きっと「巨視的」「ぜーんぶ」「クリアー」とかいう、三拍子そろった何かに弱いにちがいない、と。

今日の聖書の言葉。

もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。
ヨシュア記 24:15 新共同訳

信仰を取り戻させてくれたフランシス・A・シェーファーは、福音派のカール・バルト、とか、クリスチャンのグル、とか、言われた神学者だ。1984年に亡くなってるけど、訃報が世界に流れた日、大学の聖書研究会の先輩が「シェ、シェーファーが死んだ。。。ハァ」と、普段から青い顔を、より青くして、悲嘆してたのを思い出す。

スイスのレマン湖の近く、ウエモという風光明媚な山村にコッテージをかまえたシェーファーは、世界中から旅行で訪れるヒッピー・無神論者・懐疑論者・不可知論者の若者たちに、対話をつうじて福音を伝え、その結果、多くのクリスチャンが生まれたんだ。

そのフランシス・シェーファーの右腕となってミニストリーを支えたのが、息子のフランキー。親父に名前が似てるから、まぎらわしい。。。

フランキーは、父の著書『理性からの逃走』をベースに、父自身がヨーロッパ各地を回って思想史を解説するという全10巻の映像作品のプロデューサー・脚本・監督を、ひとりでやってのけた。タイトルは『それでは如何に生きるべきか 西洋文化と思想の興亡』。。。

それって、すごいよ。。。父と子の心が完全に一致してなけりゃ、とうていそんなの、できないじゃん。

ところが、2008年にフランキーは、亡き父との関係を露悪趣味的なテイストでつづった自伝『クレイジー・フォー・ゴッド』を出したんだ。それを読んだとき、思った。。。彼は、福音派のクリスチャン(聖書の文字通りの解釈を重視する立場)だったけど、やめて、リベラルなクリスチャン(聖書の解釈で文献学を重視する立場)に宗旨替えしたんだなあ、と。そのときの読書感想として、自分は次のような文章(note のは再掲)を書いた。

でも、ことはそれで終わらなかった。2014年に出した本で、フランキーは、自分が亡き父の信仰を捨てて、無神論者になったことを、世間に公表するに至るんだ。。。

信仰を捨てることを、棄教、アポスタシー、と言う。影響力のある人が、信仰を捨てた、となると、センセーショナルで、インパクトも大きい。去年も、ベストセラー『聖書が教える恋愛講座』の著者で、メガチャーチの主任牧師だったジョシュア・ハリスが、インスタグラムに「自分はもはや、いかなる意味でもクリスチャンではない」という告白を投稿し、離婚を発表した。いまって棄教もSNSでやるんだねー。

なんだろう。。。福音派だったけど、ちょっと深くものを考える人は、棄教します。。。みたいな、流れ? になってるのかもしれない。。。

不思議だ。。。世界の動きについて「巨視的」「ぜーんぶ」「クリアー」に、スパーっと切って見せられる手腕を持つスゴイ人たちが、棄教して、その一方、うんうん唸りながら、イエス様の衣の端にしがみついている自分みたいのが、踏みとどまってる。。。

信じるということは、確実な保証を抜きに、それでも信じる、ということなんだろうな、そうなんだろうな、と思う。。。

だって、これは確実です、間違いないです、周りの人みんなやってます、時代の主流です、この流れに乗って一気に上昇しましょう! みたいのだったら、もはや「見ないで信じる信仰」* では、ないじゃんな。

なので、ちいさく、少しずつ、おぼろげに、やっていくこととするぞ。

註)
* Cf. ヨハネ 20:29, ヘブライ11 :1

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