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大切なことを想い起こす

スタンダールの小説『赤と黒』を小学生の頃に読んで、めまいをおぼえたのは、主人公が、少年なのに司教に叙階されて、直後に銃で撃たれて死んだ、ということよりも、彼がラテン語の新約聖書をぜんぶ暗誦できた、ということだった。ちなみに冒頭、フランスのジュラ山脈の村が舞台なのだが、恐竜時代のジュラ期って、ここから来てるのかあ、と別の感慨もおぼえた。

人間は、どこまで暗誦できるものなのだろう。三蔵といわれる膨大な経典をぜーんぶ頭に入れるため、仏教では虚空蔵経というウルトラスーパー暗記法のガイドブックがあるけれど、これは裏技のたぐいだと思うから、考慮から外そう。

文化大革命後の中国では、家の教会も、政府公認の教会も、大迫害を受け、牧師は投獄。聖書は没収。教会堂は破壊。その過酷な状況の中で、クリスチャンたちは、夜にこっそり山頂にあつまり、礼拝を守った。聖書は、どうしたかというと、没収をまぬがれた一冊の聖書をみんなで分担して「暗誦」し、頭の中にしまっておいて、山の上での礼拝では、それをそらんじたから、特に困ることはなかったという。。。懐中電灯も要らないし。

そう言えば、映画『ザ・ウォーカー』は、文明が崩壊した近未来で、デンゼル・ワシントン演じる盲目の主人公が、世界に唯一残った書物である「点字の聖書」を命がけで守り、守り切れずに聖書は失われるんだけど、彼も聖書を全部暗誦していたので、人々は彼の口述から聖書を書き起こし、コピーを作って、文明は再建されました、というストーリーだったっけ。

自分も横浜から東京まで毎日往復3時間かけて通勤していた時代に、3時間を有効に使うために聖書のTEV訳(Today’s English Version)のエフェソの信徒への手紙の暗誦に挑戦したことがあった。ほぼ暗誦することに成功したのだけど、数日間怠っていると、どんどん忘れて行くという経験をした。暗誦した内容を維持するためには、毎日唱え続けなければいけない、ということがわかった。あれからもう6年。ずっと唱えていないので、すっかり頭から抜け落ちていってしまった。

人間の頭は、忘れるようにできているらしい。なので、大事なことを想い起こす、心を込めた作業が必要なのだと思う。誕生日とか記念日とか、お祝いごと、というのは、そういう「想起」のためのセレモニーなのではないか。

クリスチャンにとっては、イエス・キリストが十字架にかかり復活したという出来事は、あまりにも重要すぎるので、毎週みんなで集まって「想起」することが必要だ、というわけで、毎週日曜日に礼拝をして来たのだろう。想起の頻度が、この2000年来ずっと毎週というのは、それだけ重要な出来事だということだ。

今日の聖書の言葉。

キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
コロサイ人への手紙 3:16 口語訳

単なる暗誦だったら、それは、ひとりの作業だ。「想起」の場合は、共同の作業だから、みんなで物理的にあつまって一緒に聞き、一緒に読み、一緒に唱えることが必要。でも、ポストコロナ社会では、もしかしたらもう、これまでのように、みんなで物理的に集まって「想起」することができないかもしれない。

社会的隔離を維持しながら、どうやって一緒に聞き、一緒に読み、一緒に唱えて「想起」する作業ができるのだろうか。すべてのクリスチャンに与えられた新しい宿題だ。

しかし、まあ、もしすべてを忘却してしまうような事態があったとしても。。。認知症とかで。。。それでも、神はあなたを忘れることは決してない、ということは福音(良い知らせ)だと思う。





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