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チョキチョキされたときの祈り

自分の願いとおりに物事がどんどん進んで行くと、なんかこう自我が世界に拡張して行くような「錯覚」を覚えるよね。

イケイケどんどんで調子にのって、ぶよぶよと肥大していく自我。。。

そういう錯覚で生きてしまうことがないように、神様は絶妙なタイミングで、すぱーっと物事をストップさせる。

すると、正気に返らされて、自分は自分の面倒を見ることさえ手に余るような、ただの人間に過ぎないと気づかされるんだ。

今日の聖書の言葉。

あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。
ヤコブの手紙 5:13 新共同訳

理解不能な「他者」に出会う経験。。。

そういう他者って、ハサミみたいにこっちの自我をチョキチョキ切って、ほんとうのおまえはこんなもんだろ、と痛いぐらいつきつけてくる。

そういうときは、やっぱり祈るしかない。。。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、イエス・キリストがされたように、この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。アーメン

ラインホルド・ニーバー「静穏(セレニティ)の祈り」

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