orz...
足元が崩れ落ちる感覚、というのは、めったに経験するものではない。
しかし、今回のコロナ禍で、あたりまえの日常が全部ストップした。しかも、再開の見込みが立たない。その中で、orz という気分を味わっているひとが、世界で数十億人規模で出現している、すさまじい状況だ。
今日の聖書の言葉は、木っ端みじんに砕かれた心の感覚に触れている。
主は心の砕けた者に近く、 たましいの悔いくずおれた者を救われる。
詩篇 34:18 口語訳
福音書でイエスは、愚かな人が、砂の上に家を建てたが、大水で砂が流されて、家は倒れた。。。だから、岩の上に家を建てなさい、と話している。
絶対盤石と思っていた土台が、実は砂だった、という。。。
じゃあ、岩ってなんなの?というと、それは「神」だ、ということになる。
シュライエルマッハーは、宗教の本質は「絶対的依存感情」だ、そして、絶対的依存感情に生きる人間の究極の姿がイエス・キリストだ、と述べた。
「私と父(神)とはひとつだ」「父は私の中におられ、私は父の中にいる」という感覚をリアルに生きた、イエス・キリスト。まさに神人。
ところが、今日の『教会の祈り』の「読書」を読んでいたら、さらにすごいことが書いてあった。
・・・こういうわけで、頭(キリスト)とともに体全体が人の子、神の御子、そして神です。そこで、「父よ、わたしとあなたが一つであるように、彼らもわたしたちたちと一つになるようにしてください」と主は言われます。
・・・キリストの肢体であり、信仰をもち理性に従って生きる人々は、キリストがそうであるように自分たちも神の子であり、神であると言うことができます。
復活節第五金曜日・第二朗読
ステラのイサク修道院長の説教「多くの兄弟たちの中での長子」より
誤解のないように。。。クリスチャンになると、あなたは神になれる、そして、神のようにスーパーパワーを使って、水をじゃぶじゃぶブドウ酒に変えられる、というわけではない。
わたしたちも、キリストに結ばれて、神とひとつとなって生きることができる、ということだ。すると、孤独感が安心感に変化する。水がブドウ酒になるように。
この「絶対的依存感情」と、安心感は、世界がひっくり返っても、決してなくならない。永遠に続くものだ。なぜなら、神は永遠だから。
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