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イースター、猫、そして空の墓とイエス。。。

イースターおめでとうございます。

では、毎年恒例のこの挨拶をば。。。

ハリストス復活、実に復活!

聖書に出て来ないものに猫がある。エジプトのファラオ(王)であるネコは出て来るけど、それは王の名前。猫ではない。

自分は猫を飼った経験が無い。

犬なら生まれたときから実家で飼ってた。地続きの隣家だった叔父の家(父の兄)の庭で飼われていた。名前はムク。雑種犬。ムクが死んで祖父も死ぬという出来事から精神の危機を経験した自分は、中学2年のときクリスチャンになった。

ムクはいつでもずっと鎖で犬小屋につながれていた。叔父が散歩に連れてってたのを、あんまり見たことがない。。。まあ、けっこう広い庭に長い鎖でつながれていたから、それなりに走り回っていたけれど。。。

それに比べて猫はすっごい自由なイメージがある。そもそも鎖につながれてないし。家にいるかと思ったら、いつのまにかどっか行ってしまう。外に行って数日間帰って来ないこともあるらしい。。。

今日の聖書の言葉。

あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
マタイによる福音書 28:6 新共同訳

イースターの朝、イエス・キリストは墓の戸を破って復活した。

弟子たちが行って墓穴を覗くと、中はからっぽだった。

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それからというもの、復活のイエスは、予期しないタイミング、予期しない場所で、突然に、そして、たびたび、弟子たちに姿を現した。

新約聖書の記録によれば、厳重に鍵をかけ、雨戸をおろし、籠城みたいな状態の部屋にさえ、復活のイエスはすーっと入り込んできて、弟子たちを驚かせた *²。

復活のイエスをだれも墓穴に閉じ込めておくことはできないんだ。

それはつまり、イエスを鎖でつないで、わたしたちの狭い理解、狭い期待、狭い空間、狭い概念に縛り付けておくことはできない、ということでもあると思う。

気を付けないと、わたしたちは、いつのまにか墓穴にイエスを閉じ込めようとしてるんじゃないだろうか。。。イエスはこうで、こうあるべき、これがイエス、イエスならこうするはず、みたいな。。。

でも、墓穴は空っぽだ。復活のイエスは変幻自在、あらゆる場所にいないように見えて、あらゆる場所にいる。どんなに囲い、蓋をし、鍵をかけ、閉じこもり、隠れようとしても、イエスは自由に出入りする。復活のイエスから隠れおおせることはできないんだ。

ここにイエスがいるはずなんかない、と思うとき、復活のイエスはわたしたちの後ろにこっそり立って、じーっと見ている。。。猫みたいに。。。

気を付けて。。。あなたの後ろにイエスが立ってる。。。

註)
*1.  「ハリストス」は正教会の用語でキリストのこと。正教会では復活祭の朝に「ハリストス復活、実に復活!」と挨拶し合う。口語で言うなら「キリストはよみがえられた、ほんとうによみがえられた!」 なお、自分が所属しているのは正教会ではなく救世軍(The Salvation Army)というプロテスタント・メソジスト系の教会。
*2.  Cf. ヨハネ 20:19

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