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ソウルフード=魂の故郷への道標。

高円寺に生まれ育った者のソウルフードの筆頭として、「代一元」の中華そば、がある。占領軍が日本を去った昭和25年の創業。残念ながら、地元民に惜しまれつつ、昨年6月に閉店した。物心ついたときから、よく両親に連れてってもらってた。自分の定番は、中華そば、ワンタンメン、チャーシューメン。幼稚園ぐらいの頃だったかなあ。たまたま代一元が休業してて、仕方なく駅前の別のラーメン屋に連れて行かれて、味噌ラーメンをひと口たべて、両親に向かってひとこと「代一元のほうが、いい!」。。。困った顔をしてたなあ、両親も、店員さんも。。。

自分にとっての、もうひとつのソウルフードは、通っていた幼稚園の購買部で売られていた「ポルボロン」というお菓子。スペインのべリス・メルセス修道会が経営している幼稚園だったので、シスターたちがスペインの伝統のお菓子を作って、販売してたんだ。キャンデーみたいな包み紙にはいった、丸くて真っ白いお菓子。一見すると、粉砂糖をまぶしたマシュマロみたいなんだけど、口に入れると、一瞬ですべて粉になって、溶けていく。こういう食感って、他にないんじゃないかな。食べるとき、よっぽど注意しないと、そこらじゅう粉だらけになっちゃう。こちらも、残念ながら、もう販売されていない。

高円寺民のソウルフードとして、いまなお残っているのは、駅前の老舗洋菓子店「トリアノン」のプリンアラモードだ。こちらは、あまりにもなつかしくて、ついに今年の夏、食べに行ってきた。見てよ、この美しすぎるプロポーション。すべての具材が、完璧なバランスで配置されていると思わない? プリンアラモードのイデアか!と、つぶやきたくなってしまうほどだ。トリアノンは代一元から10年遅れての昭和35年の創業。今年で60周年だ。このプリンアラモードを食べていると、それがトリガーとなって、幼い頃のいろんな思い出が浮かんでくる。それこそ、まさに、ソウルフードというものなんだろうね。

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今日の聖書の言葉。

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
ヘブライ人への手紙 13:8 新共同訳

幼い頃から慣れ親しんでいた色、味、形、建物、風景、人々。。。あまりに深く慣れ親しんでいるので、自分の身体・精神・霊魂の一部になってしまっているかのようにすら、感じる。

でも、残念ながら、それらは時代と共に過ぎ去って行ってしまう。

いちばんさびしいのは、味と建物と人々、この三つが一体となって記憶されている「魂の一部」みたいなものが、セットでなくなってしまうことだよね。代一元の中華そば、店構え、店の「おやじさん」と自分の父親。この三つが一体となったものが、いまは、もう、ない。。。せつないなあ。。。

人間は、そうやって消えてなくなっていくものを、いとおしみ、なつかしみながら、しかも、顔を前に向けて、永遠に変わらない「なにものか」を、探し求めているんだと思う。

自分にとって、永遠に変わらないもの。それは、イエス・キリストだ。

キリストは、死んだけれど、復活し、聖霊をとおして、いつも、たえず、つねに、信じる者たちと共にいてくれる。永遠に変わらない魂の故郷、ホームだ。

ソウルフードって、そのホームに到るための「道標」(みちしるべ)の一種なのかもしれないなあ、と思う。。。

代一元。。。ポルボロン。。。プリンアラモード。。。道標をたどりながら、魂の故郷に向かって、一歩、一歩、進んで行く。道標は、永遠に変わらない「なにものか」の光と輝きを、ほんの少し示しながらも、それ自体はあとにされ、過ぎ去って行く。だから、それらは、そんなにも美しく、いとおしく、せつないのだ。


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