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心と口と行いと生き方? マリアのように?

イエスを懐胎したマリアが、同じような境遇にあったエリサベトを訪ねたという聖書の故事 *¹ を記念して、教会では「主の母マリアのエリサベト訪問の祝日」(Visitation) が毎年5月31日に祝われる。おっと、おとといだったね。

この祝日の礼拝に用いるために、偉大な音楽の父バッハが1723年に作曲した『心と口と行いと生き方が』(BWV147) という教会カンタータがある *²。有名な「主よ、人の望みの喜びよ」というコラールは、このカンタータの終曲として出て来るんだ。

このカンタータのオープニング。軽快なトランペットに先導されながら合唱隊がこう歌い始める。

心と口と行いと生き方が
キリストの証しをしなければならない
恐れも てらいもなく
彼こそが神であり救い主であると

今日の聖書の言葉。

何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。
コロサイの信徒への手紙 3:17 新共同訳

救い主イエスを宿したマリアが、親戚のエリサベト。。。彼女もまた救い主の先駆けをするバプテスマのヨハネを神の奇跡によりマリアより6か月早く身ごもっていた。。。を山村に訪ねると、エリサベトの胎内で子がよろこび踊り、彼女は聖霊に満たされてこう叫んだ。

「こんにちは、マリア! あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」*³

このエリサベトのよろこびの言葉から、ロザリオの祈りで唱える「アヴェ・マリア」の祈りが生まれた *⁴。アヴェというのはラテン語で「こんにちは!」という意味だねー。

そして、エリサベトに返歌するように、マリアも聖霊に満たされて歌いはじめた。それがマニフィカートと呼ばれる賛歌だ *⁵。

わたしの魂は主をあがめ
わたしの霊は救い主である神を
喜びたたえます
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう
力ある方が
わたしに偉大なことをなさいましたから

エリサベトはマリアのことを「最高の祝福を受けた女性」と表現したけど、マリアがこの賛歌をうたったときの状態って、まさに、それ。最高の祝福を享受している状態だよね。

その状態のマリアって、自分の中には救い主イエスが宿っている。自分の外からは神の聖霊が注がれて、聖霊が自分の全身全霊を覆っている。自分の前には、自分と同じ境遇を経験していて、だから、同じように共感し、同じように分かち合うことのできる親友エリサベトが立っていて、その親友がハグしてくれるんだから!

こんな最高の祝福を受けたマリアの口から出て来るのが、ただもう感謝、ただもう賛美、だけだったとしても不思議ではない。

何を話すにせよ、行うにせよ
すべてを主イエスの名によって行い
イエスによって
父である神に感謝しなさい

心と口と行いと生き方で、ひたすら神に感謝と賛美をささげることができるようになれるとしたら、それはきっと、マリアのような恩寵を受けなければ難しいんじゃないか、と思う。

ところが、衝撃的なことに新約聖書は、われわれが信じるなら、われわれもマリアが受けたのと完全に同じ恩寵を受けることができる、と言うんだ。

それは、いつ、だって? いま、でしょ。いま!

あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です
コロサイの信徒への手紙 1:27 新共同訳

救い主イエスを通してマリアが受けたのと同じ恩寵を、われわれは今日・いま・すでに享受している、ということを、バッハのカンタータは歌い上げる。第2曲のレチタティーヴォにあるように。。。

祝福された口よ!
マリアは心の奥底を
感謝と賛美を通して告げ知らせる
彼女は自分自身に
救い主の奇跡について語りはじめる
彼が主のはしためになされたことを
おお!人間という種族よ
悪魔と罪の奴隷よ
あなたは解き放たれている
キリストが現れ
この世に慰めを
もたらしてくださったことによって
この重荷と隷属から!

上記の「あなたは解き放たれている!」(Du bist befreit)という表現が、とっても好きだ。

あなたが〇〇すれば解放されるでしょう、では、ない。
あなたが〇〇という条件を満たせば解放されるかも、でも、ない。
今後あなたが解放されようになることを願っています、でも、ない。

そうではなく、イエスの十字架・復活・昇天・聖霊降臨によって、あなたは、いま・もう・すでに、解放されている! って言うんだ。

もう、あなたは、悪魔の奴隷でも、罪の奴隷でもない、自由なんだ! ということ。ここに、じーん、と、来る。

だから、マリアのように自分も。。。自分の中にイエスが宿っている。自分の外から聖霊が注がれ、聖霊で覆われている。自分の目の前に信仰の友がいる。。。なので、このカンタータの第3曲のアリアが歌うように、自分も生きてみよう、と思うんだ。

恥じるな、おお私の魂よ
これが私の救い主だと告白することを

心と口と行いと生き方を、すべて神への感謝と賛美についやすことができたら、いいな。いいよね。いいと思うな。そのために、このカンタータの第10曲のコラール「主よ、人の望みの喜びよ」を自分のライフソングとして、心の底から歌っていきたい *⁶。

イエスは常に私の喜び
私の心の慰めそして生気
イエスはすべての悲しみから
守ってくださる
彼は私の生きる力
私の目の楽しみそして太陽
私の魂の宝そして喜び
だから私はイエスを放さない
私の心と目の及ぶ限りから

■下のYouTubeはオランダ・バッハ協会によるBWV147『心と口と行いと生き方が』の全曲演奏。バッハが作曲した当時の古楽器を使っている。1723年7月2日の聖トマス教会での初演時は「主の母マリアのエリサベト訪問の祝日」の礼拝音楽として演奏されたので、第6曲と第7曲の間に牧師による説教が行われ、また、第6曲と第10曲のコラール(讃美歌)は礼拝に参加していた会衆も一緒に歌ったと考えられる。ウラヤマシー。

註)
*1.  Cf. ルカ 1:39-56
*2. 「主の母マリアのエリサベト訪問の祝日」は、いまでこそ5月31日だけど、バッハがライプチヒのトーマスカントル(聖トマス教会音楽監督)としてBWV147『心と口と行いと生き方が』を制作した1723年当時は、7月2日の祝日だったんだって(なんかドイツだけいまも7月2日を固守してるらしい)。前年までバッハはケーテン候の宮廷楽長を務めてたんだけど、この帝国等族(領主)の宗派はカルヴァン派だったものだから、教会暦も聖書日課も無し、礼拝では詩編歌しか使わない、という超簡素主義。なので、バッハとしては教会音楽に腕を振るう機会があんまりなかった。このため、世俗曲の作曲に精力を注ぎ、『ブランデンブルク協奏曲』(1721年) みたいなスゴイ器楽曲をものしている。でも、1723年5月に転職した先のザクセン選帝侯領の都市ライプチヒの聖トマス教会はルター派だったので、教会暦、あります! 聖書日課、使います! 礼拝での器楽演奏、OKです! 新しい賛美歌の作詞作曲、どんどんやってください! という音楽に理解のある環境だった。こうしてバッハは、巡りくる教会の祝日と聖書日課を題材にした礼拝用音楽「教会カンタータ」をガンガン制作して行ったんだ。ありがとうライプチヒ! ありがとう聖トマス教会! なお、バッハ(彼自身はルター派)は最晩年にローマカトリックのミサに基づいた『ロ短調ミサ曲』(BWV232) を完成させているけれど、どうもバッハはザクセン選帝侯(宗派はカトリック)の宮廷音楽監督に転職したかったみたいで、就職活動の一環としてミサ曲を作った可能性があるんじゃないかなあ、と思う。
*3.  Cf. ルカ 1:43
*4.  アヴェ・マリアの祈り

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン

*5.  Cf. ルカ 1:46-55
*6.  BWV147『心と口と行いと生き方が』の日本語訳詞

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