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もろもろの条件が突破された世界

人生。。。50年。。。これまで、いろいろ、あきらめてきたものがある。

リスト化してみると、あれも、これも、あきらめたなぁ。。。具体的に書くのは差し控えよう。

なんで、あきらめたか、考えて見ると、それぞれのタイミングで、条件が整っていなかったからだと思う。

不足する条件。。。最大のネックは、やっぱり、リソースだよね。手元にすぐ使えるリソースがなければ、願いのものを得るための最初の一歩すら踏み出せない。

今日の聖書の言葉。

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
コロサイの信徒への手紙 3:12 新共同訳

ふつう、常識的な考え方でいけば、最初に立つのは条件だ。条件があって、努力して、条件を満たせば、願いのものを獲得できる。

その線でいけば、さあ、努力して、憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。それらを身に着けられたら、あなたは神様から愛してもらえて、聖なる者にしてもらえて、結果、神から選んでもらえますよ。でも、まあ、現状じゃあ、無理ね。あなた、ぜんぜん謙遜じゃないし。。。ということになる。

ところが、今日の聖書の言葉にあるように、まったく逆のコースで攻めてくるのが、聖書の世界だ。それは、ある意味、われわれの常識を破壊する。

つまり、聖書は、あらゆる条件が、もうすでに完璧に、あなたのために整えられています、完了してます!というところから、スタートするのだ。

いま、この瞬間、あなたは現状で、神に選ばれています。聖なる者となっています。すでに愛されています。なので、リソースは、あなたの手元に、もう全部あるんです。だから、それを使って、やってみて! ということになるんだ。

「あなたは選ばれました!」と言われても、残念ながら、実感は、ぜんぜん無いんだけれど、じゃあ、いつから選ばれていたのよ? ということになると、なんと聖書は、天地創造の前から選ばれていたんだよ、と言う。マジかよ。。。

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
エフェソの信徒への手紙 1:4 新共同訳

そして、神の選びを実現するために、イエス・キリストが十字架にかかり復活した、というのが、聖書のロジックなんだよね。

なので、キリストの十字架上の最後の言葉は「完了した!」だったのだ *。

なぜ、キリストが十字架にかかり復活すると、その2000年後に生きている「わたし」が、神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されている者になるのか、というのは、実は、その仕組みを明快に説明できるわけではない、謎のロジックなんだけれど。。。あまりにも謎すぎるので、使徒パウロすら手紙の中で「神の愚かさ」と、書いている **。

しかし、重要なのは、謎のロジックであっても、神が、これで行く、と決めた以上、これで行く、ということなんだよね。。。

もうすでに、条件がすべて、整えられている。。。それを信じるのは、むずかしいけれど、また、簡単にも思える。。。もし、それを信じて受け取ることができたら、人生で「あきらめる」という選択肢は、もう考えなくて良いことになるんだ。

註)
* Cf. ヨハネ 19:30
** Cf. コリント一 1:25

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