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ダメクリ、デモクリ、ホントクリ

クリスチャン界隈には、ダメクリ、とか、デモクリ、という用語がある。

ダメクリは、自分は、クリスチャンであるはずなのに、ぜんぜんダメダメです、という意味の、否定用法。

デモクリは、自分は、こんなにダメダメなのに、それでもクリスチャンです、という、否定をふまえた開き直り用法。

こういう用語が発生する事情としては、クリスチャンは、イエス・キリストに結ばれているので、キリストに似たキャラクターに変貌するよ! と新約聖書が約束し、宣言していること。そして、そのような約束があるにもかかわらず、どう見ても、キリストに似たキャラクターに、なりそこねているクリスチャンの生活実態がある。

。。。すみません、それは、自分です。。。

自分は、罪びとである、ということは、わかる。自分の状況を見れば、自明だから。

子なる神であるイエス・キリストが、人類の身代わりに十字架で死んだことにより、自分の罪はゆるされた、ということも、わかる。ゆるしは切実な必要だ。。。だって、自分は罪人なんだもの。

問題は、その先だ。

キリストが十字架につけられて死んだとき、自分も一緒に十字架につけられて、死んだ。だから、いま、キリストが、あたらしい自分を生きている、ということ。

これは、信じよう、信じるんだ、信じろ、信じるんだろ、と言い聞かせるのだけど、常に言い聞かせていないと、忘れてしまいそうになる。

わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
ガラテヤの信徒への手紙 2:19-20 新共同訳

なんだろうね。。。この真理命題を、自分のこしゃくな努力による心理操作によって、必死に納得させようとし続けている限りにおいては、ぜんぜん、だめなんだなあ、と思う。。。

信じるんだぞっ、という力みを抜いて、はい、そうです、認めます、以上。あとは自然にキリストが内側から生きてくれて、その結果、「いやぁ、あなた、最近なんか、変わりましたね? ほんと、キリストみたい」と言われるような世界を、自分は欲している。

今日の聖書の言葉。

すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
ヘブライ人への手紙 12:14 新共同訳

そういう世界を、自分は、一度だけ、まじかに見させてもらった。

20年以上前のことだけど、イギリス人の上司が、クローン病という難病を悪化させ、大学病院に入院した。結局、その病院では治療できず、母国に帰ることになったんだけど、移動の日、彼女を担当している看護師さんたちが病室にやってきて、涙を流しながら訴えた。「退院しないでください、ずっとここにいてください、あなたの病室に来ると、なぜだかわからないけれど、わたしたちは癒されるんです」と。

彼女の夫からその話を聞いて、思った。世界には、生きているうちに、キリストのようなキャラクターになれる、という奇跡が、あるんだなぁ。新約聖書に書かれていることは、ほんとうなんだ。やっぱり、信じよう、信じ続けてみよう。。。

あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。
フィリピの信徒への手紙 1:6 新共同訳

その後、彼女は天国に召され、スコットランドのカンブレー島の浜辺に散骨された。

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