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遠くにいる神。一緒にいる神。

コロナ禍で、物理的な場所につどっての礼拝がむずかしい。

なので、代替的にYouTubeでいろんな教会の礼拝を見ている。

感心するのは、ほんと礼拝の場所っていろんな構造があるよなー、ということ。

現代の教会だと、ライブ会場みたいなフラットな空間にステージがあって、牧師が聖書を手に歩きまわってメッセージする。説教台はない。声はピンマイクかヘッドセットで拾うから、ノープロブレムだ。

伝統を重んじる教会のなかで自分のお気に入りなのは、ロンドンにあるウェストミンスター寺院だ。戴冠式など王室の行事が行われる教会。

正面の扉から入ると、ながーい身廊があって、戦没者のお墓を迂回して進んで行くと、木でできたスクリーンがあり、その向こうが聖歌隊の座席になっている。聖歌隊席を抜けると祭壇があるんだけど、周囲が手すりで区切られている。祭壇の向うには聖エドワード懺悔王の墓所がある。

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これって、入口をはいって祭壇にたどりつくのに、扉・スクリーン・手すりと、仕切りを三つ通り抜けなきゃいけないってことだよね。

今日の聖書の言葉。

感謝の歌をうたって主の門に進み 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。 感謝をささげ、御名をたたえよ。
詩編100:4 新共同訳

この詩編は、神を礼拝するためにエルサレムの神殿に近づく人々の「動き」を表現している。

門を通り、庭に入り、神殿の本体に近づいていくんだけど、神殿の中は聖所と至聖所に区切られている。

聖なるものと自分とのあいだに、いかに距離があるかを体験させる、という意図が、空間のデザインに込められているんだと思う。

たしかに、自分がダメダメな時は神の存在を遠くに感じるよね。

その遠さたるや、ベートーヴェンの第九の合唱で使われているシラーの詩では「神は星の彼方に居るに違いない」っていうレベルだもの。100億光年の彼方。どんだけ遠くにいるのよ。。。

お前たちはひざまづくことはないのか、幾百万の人々よ?
創造主を感じられるか、世界よ?
彼を星の輝く天幕の彼方に探せ!
星の彼方に彼は必ずや居るに違いない

そういう神と自分とのあいだの茫漠たる距離感を、ぜーんぶちゃぶ台返ししてしまうのがイエス・キリストだ。

イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」
ヨハネによる福音書14:23 新共同訳

これは衝撃的な宣言だ。イエスを愛するひとのところに、父なる神とイエスが来て一緒に住んでくださる、というんだから。

今日自分がみすぼらしい場所に、さびしい状態で、ぽつんとひとり居て、そこから一歩も動けないとしても。。。父なる神とイエスのほうがやって来てくれて、一緒に住んでくれる。自分と神とのあいだの距離も障壁もそこにはないんだ。

コロナ禍にあってそのことをいつも考える。

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