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どんな言葉かけをしたらいいか、悩む、っていう話です。

言葉によって相手を傷つけたり、言葉によって自分が傷つけられたり。。。

考えてみれば、世の中のトラブルのほとんどは言葉が原因、って思えなくもないよね。。。

今日の聖書の言葉。

死も生も舌の力に支配される。 舌を愛する者はその実りを食らう。
箴言 18:21 新共同訳

そういう意味では、言葉は「死」のパワーを持つ、って言えるのかもしれない。

実際、ひどい言葉を言われて、死んじゃおうかな、って思ったことが自分も一度ならず、二度ならず。。。三度、四度。。。いや、47回ぐらいあったかもしれない(汗)

言葉って、それぐらい打ちのめす力があるよなー、って思う。

そういうマイナスの経験を重ねるほど、なんか、言葉を出すのを少なくしよう、って思うようになって来るよね。

昔の自分だったら、ここで、こう反論するだろうなー、っていう場面で、けっこう黙ってしまうことが多くなったもん。

まあ、最近あんまり頭が回転しない、ってせいもあるけど。。。

でも、ほんと、他人について論評するような言葉は言わなくなったなー・書かなくなったなー、自分。。。って思う。

この先、マイナスの経験がもっと積み上がって行くと、どんどん寡黙になって行くのかもしれない。で、ついに、完全な沈黙に入る、っていう。。。

それは、ある意味、平和かもしれないけれど。。。

逆に、言葉は「生」のパワーも持っていると思う。ひとを生かす言葉ってあるよね。

できれば、毎日ポジティブな言葉ばっかり聞いていたい。。。

でもねー。なかなか聞く機会がないよね。絶対的に不足している。

「生」のパワーを持つ言葉を聞く機会が絶対的に不足しているのであれば、これはもう、積極的に自分から探して行くしかないよね!

だって、なにもしないでじっとしていたら、「死」をもたらすマイナスの言葉にやられっぱなしになっちゃうじゃん。

だから「生」のパワーを持つ言葉を探して聖書のページを繰る。。。

で、今日、これだけ持っていれば、とりあえずいいかな、って思える言葉があった。これだ。

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
エフェソの信徒への手紙 1:4 新共同訳

この言葉は、神は宇宙を創造する前から自分を愛していてくれる、っていう宣言だ。

言い換えれば、永遠というボリュームで無限の愛を展開している言葉だ。

これ以上のボリュームは考えようがないから、自分を生かしてくれる言葉としてはピカイチじゃないだろうか?(諸説あります)

でも、問題はその次だよね。

いま、自分はポジティブな言葉を神から受け取ったので、それによって生きることができるわけだけど。。。

今度は同じ言葉を他人に対して自分が積極的に言っていかなきゃいけない、って思うんだよね。

だって、だれもそれをしなかったら、世界はどんどん殺伐として行くばっかりじゃん。。。

聖書もこう言っているし。

悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
エフェソの信徒への手紙 4:29 新共同訳

でもねー。。。

会う人会う人みんなに「あなたは永遠の昔から愛されていたんですよ!」「愛です、愛!」って言いまくる、っていうのはねー。。。日本人としてすごい気恥ずかしい。。。

どういう言葉かけをしていったらいいんだろうね。。。

でも、黙っていたら、わからないだろうし。。。

これは、今後の課題とするしかないね。。。

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