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欲望との、あくなき戦い

こないだ、父の思い出にかんすることを note に書いていて、トリアノンのケーキに言及してからというもの、脳内がもう、トリアノンでいっぱいになって、困ってる。。。

トリアノンというのは、中央線の高円寺駅前にある老舗のケーキ屋だ。創業が1960年というから、自分より5歳上。そこの洋菓子やケーキを、父がよく買ってきてくれたから、父の思い出とリンクしている。父は特に、洋酒がじっとり浸み込んだサバランが好きだった。

しかし、トリアノンの喫茶コーナーが出していた「プリンアラモード」は、父ではなく、おばさんの思い出とリンクしている。地方都市にすんでいたおばさんは、年に何回か祖父母(おばさんからすると両親)に会いに来てたんだけど、上京するとかならず、三人の甥たち(自分、弟、いとこ)にトリアノンのプリンアラモードを食べさせてくれたんだ。

あの note の記事を書くまで、プリンアラモードのことなんて完全に忘れてたんだけど、書いたから思い出し、思い出したからには Pinterest で検索し、検索したら見つかってしまったのが運の尽き。。。

もちろん、ほかの店のプリンアラモードも、検索したんだけど。。。なんだろうね。。。絵のプロポーションとして完璧な美しさを感じるのは、やっぱり、トリアノンのやつ、なんだよね。。。脳内に刷り込まれた記憶のせいなのかな。。。

しっかし。。。むかしは、記憶の片隅に何か思い出しても、それを探して確認するすべなんて、なかったじゃん。。。調べものする、っていったら、図書館に行くしかなかったんだから。図書館で見つからなければ、国立国会図書館までも行ったけど、それでだめなら、あきらめるしかなかった。

それが、いまは、スマホで簡単に検索できるから、ほんの数秒で、あー、これこれ、これだよ、これが食べたかったんだよね、って、なってしまう。

今日の聖書の言葉。

むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。
ヤコブの手紙 1:14 新共同訳

スマホの検索で、幾何級数的に強化されてゆく、あくなき欲望。。。さらにオソロシイのは、検索したものを、ピンポイントでおススメ商品としてリコメンドしてくる Amazon と楽天。そして、ポチっとしたら、欲しかったものが届いてしまう。。。悪魔かよ。。。

ところが、トリアノンのプリンアラモードの場合、実店舗に足を運ばないかぎり、食べることができないのだ。。。さすがレトロだ。。。昭和35年創業の老舗洋菓子店は、やっぱり、こうでなくっちゃ。

そういうわけで、いま、あたまの中は、プリンアラモードがぐるぐる回っている。

現代人というのは、誘惑との戦い、という点においては、古代人よりあきらかに過酷で不利な環境に置かれているよね。。。全方位から昼夜間断なく攻め込まれてるような感じだ。

教皇フランシスコは「ネットは神の賜物」と発言して、毎日欠かさず Twitter にツイートをあげてる人だけど、みんなスマホに夢中になりすぎてるので、さすがにカチンと来て、サンピエトロ広場のミサにあつまった司教、神父、信者に対し、「ミサの間はスマートフォンを置きなさい!」と怒ったらしい。。。

そりゃそうだよね。。。自分の心を占めるプリンアラモードが、神の占める場所より大きくなってしまったら、それは、本末転倒だ。神の栄光のためにプリンアラモードがあるはずなのに、プリンアラモードの栄光のために神がいる、みたいになっちゃう。

現代版新約聖書というのがもしあったら、マタイ5章は、こうなるかもしれないねー。。。「もしスマホがあなたをつまずかせるなら、SIMカードを抜いて捨てなさい。スマホを失っても、全身が じゃんぱら に売り飛ばされるよりよいのです」

なので、悔い改めよう。。。

神よ、あなたは悔い改める心を 見捨てられない。

神よ、いつくしみ深く わたしを顧み、
豊かなあわれみよって
 わたしのとがを ゆるしてください。
悪に染まった わたしを洗い
罪深い わたしを清めてください。

『教会の祈り』(時課)第二金曜日「朝の祈り」より 詩編51編


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