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聖者が街にやって来る!

人生、あきらめちゃだめ。

だって、イエスさまが身代わりになって、ぜーんぶ罪を赦してくれたんだから。

だから、人生まっさらにリセットされて、何度だってやり直すことができるんだ。

10度でも? はい。
100度でも? はい。
1000度でも? はい。
1万度でも? はい。

うーん、そしたら、大乗仏典みたいに、思いっきり大きく行ってみよっか。

一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、𥝱、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数度でも? 

もちろん、はい!

今日の聖書の言葉。

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
コリントの信徒への手紙二 5:21 新共同訳

しかしねー。。。

罪のない神のひとり子であるイエスが、全人類の罪をすべて背負って十字架で死んでくれた、だから、どんな罪でも、何度でも赦される、ということ「だけ」であるとすると、もうね、逆の意味でモラル崩壊じゃないかと、心配になってしまう。。。

だって、罪に対する歯止めが利かなくなっちゃうんじゃないの? いくらでも赦されると言うんだったら、さ。

ところが、ご心配なく。。。

聖書は、すべての罪が赦された先の世界を、ちゃーんと提示しているのだ。

それが、新約聖書のヨハネの手紙一 3:6 のステートメントだ。思わず二度見してしまう衝撃の内容。。。

御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません

さらに、こうも言う。ヨハネの手紙一 3:9 だ。これも三度見してしまう衝撃。

神から生まれた人は皆、罪を犯しません
神の種がこの人の内にいつもあるからです
この人は神から生まれたので
罪を犯すことができません

神から生まれたひとは、罪を犯すことができない、という。

これが、われわれ人類に提示されている究極のゴールだ。

とは言っても、なんだか、歴史の果て、宇宙の果て、時空の果ての彼方に見えるか見えないかぐらいのゴールポストに思えるんだけど。。。

でも、それは決して夢物語ではない。この人生で実現可能なビジョンとして、わたしたちの目の前に示されているんだ。

理論的には、もし自分が私心を捨て去って、聖霊を通して自分のこころに満ちていてくれるイエス・キリストにゆだねきるなら、罪を犯さなくなる、というか、罪を犯すことができない状態になる。

なぜなら。。。

生きているのは、もはやわたしではありません
キリストがわたしの内に生きておられるのです

。。。というガラテヤの信徒への手紙 2:20 の状態が実現するからだ。

そして、おどろくべきことに、限度ある人生のなかで、この理論が本物であることを実験し、実証したひとたちがいる、という。。。

それがセイント(聖人)と呼ばれるひとたちだ。

まだ地上を生きているあいだに、キリストの救いの恵みを完全に享受して、罪から解放された状態になったのがセイント。ギリシャ語の原語ではハギオイ(聖なる者たち)で、日本語聖書では聖徒と訳される。

新約聖書は、歴史の終わりにイエスが天からふたたび降りて来る、と証ししているけど、おもしろいことに、降りて来るのはイエスだけじゃないんだ。

なんと、すべてのセイントが、イエスを先頭に長い行列を作りながら、よろこびのステップを踏んで降りて来る、と言うのだ *。

見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる

デキシーランド・ジャズの名曲「聖者の行進」(Oh ,when the saints) は、まさに、この壮大な光景を賑々しく歌ったもの。

Oh, when the saints go marching in
Oh, when the saints go marching in
Lord I want to be in that number
When the saints go marching in

ああ、聖徒たちが列をなしてやって来るとき
ああ、聖徒たちが列をなしてやって来るとき
主よ、わたしもその列に入りたいです
聖徒たちが列をなしてやって来るときに

「主よ、わたしもその列に入りたいです」というのは、自分の祈りでもある。

もちろん、罪を犯さないで生きるなんて、自力では不可能。完全にイエスによりたのむという絶対他力の世界だ。

どうか、この理論が、ほんとうであることを、この地上を生きている間に実験し、実証することができますように。。。

不思議なラッパが青空に鳴り響き
イエスが
降りて来られる
数え切れないほどたくさんの
聖徒たちを従えて

なんて長い行列
天国に先に行った
あのひとが
このひとが
光輝く白いローブを身にまとい
喜びのダンスのステップで
降りて来る 降りて来る
ぼくたちの主の
あとからくっついて

ゆっくり ゆっくり
近づいて来る
地上に向かって
ぼくたちに向かって
イエスは笑っている
聖徒たちも笑っている
ひとあし ひとあし
近づいて来る
喜びのダンスのステップで

なんて長い行列
すべての聖徒たちが
地上に到着するまで
踊りは続く 何十時間も
地上は聖徒たちで大混雑
ぼくたちは 天国から戻って来た
あのひとや このひとと
手と手を取り合い 
肩と肩を抱き合い
泣き 笑い 歌い 踊る
死は二度とぼくたちを引き裂くことなく
永遠の復活の国で
よみがえりの主イエスの王国で
ぼくたちは一緒にすむ
いつまでも いつまでも
一緒に 
ずっと一緒に
ずっと永遠に一緒に

*  Cf. ユダ 14

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