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恩寵を譲らせる、心のスイッチ
自分は、強い、と思っているとき、弱い人をみると、イライラする。
自分は、弱い、と思っているとき、強い人をみると、恨みに思う。
自分は、強い、と思っているとき、強いけど同意見でない人をみると、やっつけたくなる。
自分は、弱い、と思っているとき、弱いけど同意見でない人をみると、うとましくなる。
なんだろう。。。世界も自分も、この4つの気分のあいだを、ぐるぐる回っている感じ。
そして、そうじゃないだろ、そこから抜け出せ、という声が、自分のなかにも、世界をおおう空の下にも、どこからともなく、響いてくる感じ。
今日の聖書の言葉。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
コリントの信徒への手紙二 12:9 新共同訳
裸の人間は、ほんと、弱い。無力に等しい。。。てか、完全に無力だ。
だけど、ティラノサウルス・レックスのような「強いやつ」が絶滅して、人間が生き残っているのは、人間がどこかで、脆弱さと多様さを、強みに転換できるすべを、身に着けたからなんじゃないかと思う。
脆弱さを許容せず、多様さを排除すると、社会は、完全に統制が取れた、硬直した体制になる。そして、ほんとうにおもしろいことに、そういうのは、パタパタ滅びて行く。そうやって滅んだ体制や国家が、歴史の教科書にたくさん載ってる。。。
弱さと強さのせめぎあい。そこに、いろんな葛藤をおぼえる。なのに、なぜだか人間は、脆弱さと多様さを、本能的に守ろうとする。しかも、自分を犠牲にしてでも守ろうとする、心のスイッチがあるみたい。
映画とかドラマを見てて、突然そのスイッチが入ると、みんな感涙にむせぶという、謎現象が起きる。脚本家は、そのスイッチを探り当てるため、原稿用紙を書いては破り、苦心している。
きのう、映画『ロードオブザリング』の第一部「旅の仲間」を見てて、そのスイッチが入っちゃって、困った。。。
指輪保持者のフロド・バギンズは、ホビット族で、ちいさく、弱い。たちまち、黒の乗り手「ナズグル」の手にかかり、呪われた剣で刺される。毒が回って、闇の世界に連れ去られそうになるフロド。。。
だけど、不死の命をもつエルフ族の姫 アルウェンが、名馬アスファロスを駆ってフロドを救出し、絶命寸前の彼を介抱しながら、こう祈るんだ。
私に与えられた恩寵を、彼にお譲り下さい。彼を闇からお救い下さい。
自分の不死の命を譲りますから、ちいさく弱い彼を、救ってください。。。という、このセリフに、心のスイッチ、がんがん入りまくり。もう、苦しくて、映画を見るの、やめた。
そうして、自分も、その祈りによって、いま生かされているんだ、と感じ、イエス・キリストのことを、思った。
実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
ローマ人への手紙 5:6 新改訳2017
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