見出し画像

PSY・Sの楽曲はCHAKAの声があるからエバーグリーンなんだよ

今、PSY・Sのアルバム『NON-FICTION』を聴いている。
1988年8月にリリースされたアルバム。

何年、いや何十年ぶりに聴いただろうか。
懐かしさと郷愁と。
一言では表せない程の色んな想いが込み上げてくる。

そして、今聴いても全く色褪せないエバーグリーンとしてのジャパニーズポップス。

同じような感覚になるのは、My Little Loverのアルバム『evergreen』
アルバムタイトルもそのものズバリエバーグリーンな訳だけど。
これは少し時代は進み1995年リリース。

AKKOの伸びやかな声と小林武史の楽曲。
素晴らしい。
だけど、今日はPSY・Sの話だ。

そもそもどうしてPSY・Sのアルバムを聴こうと思ったのか。
これまで記憶の底で存在も忘れかけていたのに。

それは、配信されたWebニュースでCHAKAさんの記事を読んだからだ。

今はジャズシンガーとして活躍されているCHAKAさんだが、PSY・Sを解散してからPSY・Sの楽曲を歌うことも、PSY・Sのことも話をするな、と止められていたという。

恐るべき芸能村の悪習。
シンガーは本来はVoice of ◯◯であるはずだ。

ゲストで数曲歌っただけならまだしも、
(少なくとも僕らファンから見たら)パーマネントメンバーとして何年も活動をして、何枚もアルバムを残したバンド、いや2人組ユニットと呼ぼう、がその50%の「声」を封じたのだ。

少なくとも僕にとっては、PSY・Sの楽曲はトラックを全面的に作った松浦氏の貢献は大きいだろうが、それ以上にCHAKAの圧倒的などこまでも伸びやかなハイトーンボイスがあってこそのものだ。

そんなとても残念なニュースを呼んで、当時夢中になったアルバムを聴いてみようと思ったのだ。

そして、何十年ぶりに再聴して思ったのは、
やはりPSY・SはCHAKAだということ。
Voice of PSY・Sは紛れもないCHAKAだ。

楽曲時代は今聴いてもエバーグリーンと呼ぶべきものだが、いかんせんサウンドが80年代だ。

改めて聴くと、Scritti Polittiの1985年のアルバム『Cupid & Psyche '85』を思わせるサウンドプロダクションかも、と思ったり。
当時はあまり感じてなかったが。
しかし、それはどちらも正当な80年代サウンドの流行をしっかりと取り入れていたからかも。

一方、CHAKAの声は古びない。
そういうことだ。
彼女の歌唱を封じたために、2000年代にきちんとPSY・Sの名曲たちが継承されていないのではないか。

さて、PSY・Sに関する個人的な思い出について書いておこう。

このアルバム『NON-FICTION』はすでに就職のために東京へ出てきて1年目の夏にリリースされた。
新しい生活に疲れ果てて、学生時代と大阪を懐かしんでいた頃だ。
このアルバムには本当に助けられたのだろう。
一曲目から最後まで、イントロから全て鼻歌で追えるほど身体に入っていたので、自分でも驚いた。

PSY・Sのアルバムは前作の1987年リリース『Mint-Electric』もよく聴いた。
これは学生時代最後の年の夏にリリースされていて、
サークルで遊びで組んでいたバンドで卒業記念ライブでこのアルバムから「電気とミント」と「Lemonの勇気」の2曲をカバーした。

その時のバンドは3年後輩の女性がVoだったから女性ボーカルの楽曲を探していて、出たばかりのアルバムだけど格好いいからやろう!と突貫工事でコピーした。

特に「Lemonの勇気」はイントロのギターを少ないエフェクター機材でどうやって再現しようかと考えて、僕は買ったばかりのOvationのアコギで人力ディレイで頑張ったことを思い出した。

シンセもその時は解散していた本気バンドのKeyにローランドのストリングシンセを借りてきて、そのシンセ1台だけでサマになるようアレンジしたことも思い出した。

ライブはその年の冬休みに梅田の阪急ファイブ(今のHEP FIVE)にあったライブスペースで行った。

そんなことがあったので、PSY・Sについては格別の想いがあったんだろう。
そんなことを、もう3回目のリピートを聴きながら思い返している。

〈了〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?