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社会人生活、港区ではじまり港区で終わる、のかな。

36年前、大阪から新社会人として東京に出て来て、勤めたオフィスが虎ノ門でした。

現在、あの辺りは虎ノ門ヒルズの再開発があり、虎ノ門3丁目の交差点なんて元の姿が分からないほど変わってしまったけれど、
当時は昔からの古い家屋が軒を連ねる街並みが残っていました。

ちょうどアメリカ大使館からホテルオークラの裏辺りに抜けた辺りから、虎ノ門3丁目の交差点の数区画がそんな感じで、
こんな都会の真ん中に普通に住んでる人がいるんだ!と驚いたものです。

あの辺りは当時テレビ局があったのかよく覚えてないけれど、僕が数少ない芸能人遭遇体験もあの辺りだ。
尾崎紀世彦さん、泉麻人さん、辺見エミリさんとか。
謎の取り合わせだな。。

六本木が近かったせいで、当時の部長にいつも連れ出されたのも六本木のバーで、
夜中3時の閉店前のマイウェイ熱唱を聴くまでは帰れなかった。
次の日は朝から仕事なのに。
今なら一種のパワハラだし、酒ハラでした。
(僕は下戸です)

港区というと(昭和風に言うと)外人の多い盛場の華やかなイメージだけど、
港区での社会人生活は、あまりに日常が忙しすぎてとてもナイトライフを楽しむ余裕なんてなかった。

2000年から2001年になる年末イコール世紀末はY2K問題のために、マネージャ職全員オフィスに待機して年越しをしたのも、港区のオフィスだった。

その後、本社オフィスは千代田区に移転するのだけど、僕は北陸営業所で5年近く過ごしていた。
転勤から戻った時はすでに港区のオフィスも引き払って、千代田区暮らしとなっていた。

それから18年近く経って、転職したタイミングでまた港区に戻って来た。
今度の港区は海岸寄りで品川に近い場所にオフィスがある。

同じ港区でも街の様子は全然違い、今のオフィスがある辺りはオフィスビルの裏通りはまだまだ普通の住宅街が広がっている。

あぁこんな風に都内の中心で普通に暮らしている人がいるんだな。

大阪から東京に出て来て、あまりの家賃の高さに結局東京都民には一度もなれなかったけれど、
(それは多分に駐車場が必要な暮らしをしていたことも関係があるかもしれない)
オフィスでの勤務はずっと都内でした。

社会人のスタートが昭和最後の港区。
そして、平成を越えて令和になってまた港区に戻ってきた。
あと、何十年も元気に働けるとは思えないので、きっとこれが最後のオフィス通勤。

社会人生活、港区ではじまり、港区で終わる
なんて、いいじゃないですか。
そう思いませんか?


〈了〉

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