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引き続き、ホメロスなどが神を人間性に貶めているが、それが間違っていると主張する。

その根拠は、現実的なものでなく、功利主義的に好ましい国家を形成するために神はこうでなければならぬ、といったものである。それは戦士が勇敢に死ぬためには、ハデス(冥界)がそれほど恐ろしいものではないと思わせなければならない、などといった都合で決定されており、なんらの信憑性もない。

次に、「いかに語るべきか」という議論を始める。これは、ホメロスなどが自らの言葉で語っている時と、第三者の振り(真似と書いてある)をして語っている時があるが、とりわけ戦士(国の守護者)たるもの、自らの言葉として語るようにしなければならない、みたいな話だ。

戦士が士気を高めるために、悲しい音楽は有毒である。士気が高まるような音楽だけを許すべきだ。文芸もまた然り。

体育は単純素朴な食事から。多種多様は放埓を生み病気を生む。

金持ちは働かなくてよいから国家のためにならない。私財をなくして国に尽くすべきだ。

裁判官は悪を知る者でなければならないが、それは自身が悪であってはならない。善の者が学習によって悪を悟ったものでなければならない。

体育(気概=粗暴さの元)と音楽、文芸(愛知=柔弱さの元)は偏りなく調和がとれた頻度で与えられないと、良い戦士にはならない。

魂に、金、銀、銅、鉄などを比喩として、各々の素養が存在するとし、適材適所が謳われている。

以上、『国家』3巻までを見てきたが、プラトン(ソクラテス)は哲学において、魂の在り方について考えた最初のもの、という意味での価値があるが、その信憑性については、まったく保証のない主張である。

つまり、最初から言っているのだが、宗教であったり文学であったりするものとした方が似つかわしい。

かといって、これが神秘主義の世界観から見て、そぐわないことを言っているかというと、そこまでの矛盾は感じられない。ただ、今のところ、臨死体験の話は出て来ない。

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