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対論者はグラウコンとアデイマントスに移る。これは最初からプラトンと冷静な議論をしていた弟子にあたる人物だろう。

不正な者が偽善のために正義を装っていた場合、誰にもそれは見抜けないのではないか。その時、世間が言うには、不正な者はより狡猾に、正義な者よりうまく立ち回り、自分の利益について有利になり、より得になるのだ。

そして正義と思われていた人物は、ほとんどみな、社会的制約によってしぶしぶそれをやっているのであり、実態は利己的(不正)な者なのだ。

そしてそれらは神から賞賛を受けることにまで勘定に入れている。彼らは神に供儀を行ったりして機嫌を取っており、それは狡猾であるがゆえに正義の者より優れている。結果的に不正な者は神からも贔屓にされる。

そして真の正義は、不正より行為することが困難だ。

ソクラテス(プラトン)は言う。国家が成立するには構成員に協力と助け合いが必要である。それがないと社会が成り立たない。それを遂行するには各々に適正な仕事を最善を尽くしてしなければならない。そして、国の守護者となる者も、その優秀性において最善でなければ務まらない。たとえば、犬はエサを与えられなくても見知った人には尻尾を振り、見知らぬ人には威嚇する。それは損得勘定を超えた愛知主義だ。国家を守護するには損得勘定ではなく何が最善かという判断が必要なのだから、知を愛し、気概があり、敏速で、強い人間であるべきだ。

ホメロスやヘシオドスが詠ったギリシャ神話の神々は嘘だ。それは神を人間性に落とし込んでいる。神は計略や嫉妬などによって他者に害を及ぼし、自分に利益がある人間を贔屓するような存在ではない。

この世には悪と善が存在するが、悪の原因は神とは無関係で、善の原因が神にある。結果にはそれにふさわしい原因が当てられるはずだからだ。

だとするなら不正な者は正確に処罰され正義の者は正確に賞賛されるはずだ。

神は高い完全性のために変化することが少ない。たとえば、より健康なほど病気になる可能性が少なくなる。そのように、神も完全なほど不変なのだ。

神が偽りを言うなら、神にも人間にも憎まれるものだが、憎まれていないし、進んで憎まれるようなことはしないのならば、神は偽りを言わない。

国の守護者たるもの、神に出来るだけ似た存在でなければならない。

私の感想としては、神の性質については大いに共感するのだが、哲学として見た場合、根拠が薄いというか、この世の善と悪があるのだが、それがどうして善だけが神の結果で悪は神と関係ないのか、神がどうして最優秀な存在なのかということの証明がいまいち欠落しているような気がした。

これは最初から宗教的な性質を帯びている。

しかし、神秘主義の教義からして神の方向性は間違っていない。だが、哲学として見た場合、その体を成していない。文学である。

また、国家が偽善によって成り立っている可能性も検討されていない。偽善でも国家は成立する。


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