『国家』(プラトン著)1巻
プラトン『国家』は岩波文庫の上下巻として出ているが、実態は10巻である。1冊に5巻分収録されている。
神秘主義の研究のために読むことになったが、1巻づつ内容を要約していこう。
1巻では不正が正義より強く、利益になるかどうかが議論されている。つまり、「強いものが正義(になる)、それは本当は不正なのでは?」という議題だ。それに対してソクラテス(プラトン)は、正義が不正より強く、また利益になることを証明する。
だがこれは屁理屈だ。
対論者のトラシュマコスが言いたいのは、たとえばアメリカが戦争に勝ったからアメリカが正義(本当は不正かもしれないのに)とされ、敗れたナチスのヒトラーは不正とされる(本当は正義かもしれないのに)というような、強い(勝った)から正義「になる」だけで、本当は狡猾で劣悪なものが益するようなシステムに、世界はなっているのではないか、という話だと思う。それが序盤で「不正が強く、正しい、そして利益になる」みたいな発言になったのだろう。
ソクラテス(プラトン)は、正義は協調と友愛があるが、不正は協調できないとし、不正は無知で劣悪で力が無いと言う。
それは現実離れしている。力を持つ者は得てして悪徳なものだ。中には真の正義を宿した人物もいるかもしれないが、前提条件として悪徳がなければ富める領域には行けない。
何故ならば、トラシュマコスも繰り返していた、「馬鹿正直」「お人好し」などの人物は、決して富めない。その性向ゆえに財産が狡猾な誰かに奪われてしまう。富めなければ力が無い。善良かもしれないが知識はない。
お人好しの日本民衆は、戦時中は大本営に良いようにコントロールされ、戦後はアメリカのメディア洗脳にコントロールされてきた。たとえば、ファイザーワクチンは素晴らしくて、スプートニクVはダメみたいなウワサに。実際はどっちもダメで副反応があるのと3度、4度摂取してもかかるものはかかる。それをファイザーに金が流れるようにコントロールされている。本当は数年たって重大な欠陥が発生し大量に後遺症を出すかもしれないリスクがある。治験が十分でないのだから。その条件はファイザーだろうとスプートニクVだろうと同じだ。
力のある者は得てして不正だ。
力のある者が正義ならば、どうして日本は停滞しているのか。選挙制度をネット投票にしたり、Youtubeで政見放送したりすれば若者の政治参加が増えそうなものを。それは、自らの利権のためである。選挙の条件が変わったら自分が受からなくなるかもしれない、だから現職の議員は選挙を変えようとしない。それは不正な動機である。
「借金が国民一人当たり800万円です!」とか言って増税の言い訳にするが、いつまで借金が増えても日本がデフォルト(破綻)することはない。それは借金とは言わないものを借金と言っているからだ。これは不正である。
現状の権力者が不正なのにどうして正義の方が強く、知識があり、有利と言えるのだろうか。
この段階でプラトンの証明は机上の空論である。
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