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著者が、国家を統べるべき存在であると言うところの、哲学者とはどんな存在なのか。

哲学者とは愛知者である。知識にもいろいろある。俗の技術に関することは哲学者に関わる知識ではない。

イデア(概念)にはピラミッド型の階層がある。事象それ自体、事象を称するごく狭い概念、もっと広い概念、究極の概念などと段階を経ていく。そして、哲学者とは恒久不変の究極の概念を知ろうとする者である。それは神的秩序である。

たとえば、首の長い馬みたいなあの個体が事象それ自体、としよう。それをキリンと称する。キリンは草食動物。生物。存在。などと、具体から抽象へと段階を経てより高い概念になっていく。

哲学者は動かないで安定してる真理をこそ愛するのであって、思わくする不安定な王よりも国家をより良く導くはずである。

哲学者には自然的素質がある。肉体的な快楽を求めない。金銭を愛し求めない。ケチであってはならない。ほらを吹かない。憶病でない。

哲学者は自然的素質において記憶がよく、ものわかりがよく、度量が大きく、優雅で、真理と正義と勇気と節制を愛する。

またもし、自然的素質があったとしても、環境がそれを捻じ曲げてしまう恐れがある。

そこで、真の哲学者と言える存在は貴重である。

哲学者と大衆の間には意識の乖離があるため、非難を被る。

学ぶべき最大のものは善のイデアである。ところで、善とは何なのか?

善は快楽ではない。快楽が悪い結果を招くことがあるからである。善は知恵でもない。知恵が悪い結果を招くことがあるからである。

それは視覚でものを認識させる太陽の光のように、認識される対象には真理性を提供し、認識する主体には認識機能を提供するものこそが、善の実相(イデア)である。それは知識と真理の原因(根拠)である。善は真理や認識を超えた美しいものである。

6巻はだいたい以上である。善が何なのかまだ釈然としないが、これが神からのインスピレーションにあたるものなら、そろそろ神秘主義における霊的真理と合致が見られるようになってきたと思う。

イデアの様相も、私が「こうだろう」としたものだが、プラトンの言わんとすることは、だいたいこのようなもので、それは神秘主義の死後の世界の様相と一致するのだ。というのは、スピリチュアリズムでは幽界(エーテル界)ではより具体的なイメージを伴った世界なのであるが、高層界(エイドスの世界)へ行くほどイメージが抽象化していき、美的になっていく。最終的には光しかなくなる(火焔界、光明界)。

キリンのたとえ(プラトンが説明したと私が解釈したもの)と、スピリチュアリズムの死後の世界がどう対応しているのか、と考えても、はっきり何とは言えないが、より抽象度が上がっていく世界、ということは共通しているのだ。

しかし、まだ、プラトンの説明からどうしてプロティノスの世界観が生まれたのか、という、肝心な部分はリンクされていない。

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