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時間と空間についての個人的妄想

プロローグ

おはこんばんにちは!
初投稿から数日空けての記事投稿。
意外とnoteへの投稿、気に入ったのかな(笑)

今回は仰々しいタイトルしてますが、ただ単に疑問に感じたことを記事にまとめただけです。思考実験と書いてますが、頭の中でグルグルしたものをとりあえず言語化しました。
科学的考察には程遠いのでその辺はご容赦を。
それでは以下、本文になります。

存在の不可逆性

私たちは時計を用いて正確な時間を把握し、場所を特定することで自身の正確な位置を認識する。つまり、「いつ・どこで」の2要素でその存在をある程度明確にできる。
これに関しては日常的に触れる機会が非常に多いだろう。
例えば、街のお店で買い物した際のレシート、駅のホーム、オフィスへの入館・・・いずれも「いつ・どこで」を記録、あるいは確認する機会が多い。

思考実験?

ただし、これはあくまで人が定義し、共有する限定的な物差しに過ぎない。
一つ例を挙げてみよう。
2000年1月1日午前0時、初詣のために明治神宮を訪れている、とある人がいるとしよう。ここでの「いつ」は「2000年1月1日午前0時」、そして「どこで」は「明治神宮」正確には東京都渋谷区代々木神園町1-1である。

この「2000年1月1日午前0時」にも基準となる西暦があり、1年は365日(4年に一度366日)、1日は24時間と決められている。だが、日本人であれば和暦を用いて「平成12年1月1日午前0時」とも表現できるし、ひと昔前の人であれば旧暦で表現したかもしれない。
また、東京都渋谷区代々木神園町1-1も明治神宮の日本における住所(所在地)を示しているに過ぎない。
「35.67652, 139.69932」(Googleマップより検索)
緯度・経度を用いると上記のようにも示すことができる。

つまり、「いつ・どこで」という存在を特定する要素は、取り扱う物差しによって大きく見え方が異なる。
ただ表現の差はあれど、同じ結果を示す。

何を当たり前のことを、と思うかもしれない。
だがしかし、私はここで一つの疑問を覚えた。
限定的なものではなく、絶対的な存在の特定は可能なのだろうかと。
突拍子もない疑問だが、以下に私なりの考えを記す。
絶対性を確保する上で必要となる条件を
全ての始まり・起点の近似を確定させることとする。

仮説の組み立て

まず「いつ」について。
普段西暦を基準にして月・日・時間と決めているが、これはあくまである歴史的出来事を起点にしているに過ぎない。そこで一つ物差しを追加スケールアップする。
約46億年前に誕生した地球を起点にするのである。
これで有史以前の時間もカバーできる。
ただ、これでもまだ地球という閉じた空間に依ってしまう。
さらに追加スケールアップしよう。
約137億年前に始まったとされる宇宙である。
現状推測できるビックバンがもっとも始まりの起点に近いと考える。
宇宙の始まり以前に遡るときりがないので
ひとまず上記を「いつ」の起点にする。

次に「どこで」について。
わかりやすく日本の住所から始めよう。
都道府県・市町村・番地だと国内のスケールに限定されるので
地球のスケールにアップする。
この場合、緯度・経度を変数として追加するのがベストだろう。
ただ、これだと先ほどの「いつ」と同様に地球規模で閉じてしまう。
なので一つ追加スケールアップする。
地球が属する太陽を中心とした太陽系である。
この場合、地球の自転と公転を変数として追加できる。
さらに追加スケールアップしよう。
太陽系が属する銀河系である。
一見太陽は自転だけして一箇所に止まっているように感じるが
太陽も銀河系内を公転している。
ここでは仮に太陽系を一つの星と見立てることで、太陽系の公転を変数として追加する。
そしてまだ追加スケールアップの余地がある。
銀河系が存在する宇宙そのものである。
太陽系と同様、銀河系も宇宙空間の膨張に併せて移動しているので
銀河系の移動そのものを変数として追加できる。
ひとまず上記4つの変数を「どこで」の基準とする。

前置きが長くなったが、以上のことを踏まえ私なりに一つの仮説を立てる。
「ビックバンからの経過時間」×「銀河の移動距離と各種変数」の組み合わせで絶対的な存在の特定は可能なのではないだろうか。
ただ、現状ではビックバンの正確な始まりや宇宙の起点となる中心が正確に観測できないので何とも言えない。

しかし、一つだけ明確に言えることがある。
それは宇宙規模でその存在を観測すると、その瞬間と同じものは2度と観測できないということである。こうして椅子に座って記事を書きつつ一か所に止まっている私も、意図せずに宇宙規模では常に移動していると捉えることができる。
そう考えると、この一瞬が2度と訪れない特別なことに思えてならないのである。

エピローグ

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
それと同時に、まとまりに欠ける稚拙な文章で本当に申し訳ないです。
最後、キモい締め方ですし(笑)
いやぁ〜、長くなり過ぎて途中から自分でも何書いてるか分からなくなりました(笑)というか、今もよくわかってないです。
頭に浮かんでたことを短く書き出して適当にまとめようとしたんですが無理でした。こういう場合は事前にある程度内容の構成を練った上で書き始めるが良しですね。反省です。

何でこんなしょうもないことを考えるんだろうと感じた方も多くいらっしゃるかと思いますが、とある思いつきがありました。
それは「過去に戻る時間移動って空間移動も兼ねてるからかなりハードじゃない」です。
今回の考察を見ていただければ何となくわかると思いますが、宇宙膨張説を前提とする場合、宇宙規模での私たちは1秒後遥か彼方に位置しています。
そう考えると、いくら光速を超えるような技術ができても過去に戻るタイムトラベルは感覚的に無理ゲーなんじゃないかと思ったんです。
だってそんな宇宙を丸ごと改竄するみたいな神様的所業、人の手に余りません?

ただ、タイムトラベル理論を深く理解しているわけではないので正確なことは言えませんが・・・。

かなりの長文にはなりましたが、いつも通り締めの一言を。
〜願わくば、今という日に幸あれ〜

ではまた次回。

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