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大学時代に衝撃の理由で派遣切りされたときのこと


大学3年の頃、
数週間ごとに短期でデパートの催事でレジ打ちをする仕事をたくさん受けている派遣会社に登録し、よくそこで働いていた。

派遣には珍しくシフトの融通がきき、短時間でも働くことができて、レジ打ちがメインの仕事だったのでレジの操作に慣れていれば難しいことはなかった。多くの人が訪れる催事会場ではいつも近くにデパートの社員もいたのでわからないことがあればすぐ聞ける安心の環境で、たまに発送の商品の伝票を書く作業などは少しわかりにくくて最初は苦手だったが、基本的には無心にグッズを数えてレジに通してお金を受け取ったりカードや伝票の処理をマニュアル通り行ったりするだけで、とても働きやすかった。

そこの派遣会社は決して大きくはなく、
たまに現場に私たち派遣と同じようにして派遣会社の社員がレジ打ちの仕事に入っていることがあった。
お客さんが途切れると少しは雑談もした。

そこで働き始めて4.5ヶ月経った頃、事件が起きた。

担当営業でもあったその社員がある日、
お客さんが途切れたタイミングで話しかけてきた。
その日でその催事は最終日だった。

「そういえば、あなた大学生だったよね。何を勉強しているの?」

説明すると長いので私はとても簡潔に、

「仏教思想です」

と答えた。
学科としては「東洋思想・文化」
コース的には「仏教思想」というのが正確なところだった。
メインのテーマとなる仏教と比較し特徴を理解したり、その成り立ちなどへの見解を深めるため仏教以外にもさまざまな宗教や思想について勉強していたので、インドの哲学や中国哲学についても授業をとっていた。
歴史的に関わりが決して浅くはなかったり、比較にも用いたりするのでイスラム教やユダヤ教やキリスト教に関わる内容や歴史も学ぶ。
…というのを説明すると長くなるので、
本当にただ「仏教思想」とだけ答えた。

その社員は10枚ずつお札を数えて束を作る手を止めてこちらを見た。

「仏教、ってことは宗教?」
「はい。あ、でもインドとか中国とか、仏教以外の内容も必修なのでそれだけじゃないんですけど」
するとその社員は変な笑みを浮かべて言った。

「えー、宗教とか、怖。」

その日の仕事の後、担当営業とは連絡が取れなくなった。
あの後の社員の態度はぎこちなく、この連絡を断たれている状況があの会話が原因なのは明らかだった。

私が宗教について大学で学んでいることを理由に私の就労を拒むことは思想信条を理由に就労を妨げることではないのか?それは違憲ではないのか?

いろいろと思考が頭の中をぐるぐるした。
正直ほかに心当たりなんてなかった。
当日欠勤はしていない。
遅刻は随分前に一回きり、電車が25分遅延したときでそれに関してはきちんと説明をし会社に申請をして、それからも仕事を頂いていた。
とてもモヤモヤした気持ちだったが、それから本社の方に連絡を取ろうとするのも面倒になってしまいその派遣会社とはそれきりだ。

まさか大学で勉強している分野を理由に仕事を失うハメになるとは思っていなかったので悲しみ以上に驚いた。

宗教思想を専攻しているというだけで
こんな扱いを受けるだなんて想定外にも程がある。
インド思想、なかでもウパニシャッド哲学研究が専門の教授が、昔の話をしていたのを思い出す。
「オウムの騒動が世間を騒がしていた頃は俺たちみたいにインドの宗教やら哲学やらを研究する学者はあいつらの仲間みたいな目を向けられて、ものすごく肩身が狭かったんだ」

その視線によく似たものは、令和の今も健在だ。
私が受けた派遣会社からの仕打ちは「よくわからない宗教を専門に学ぶ学生」という自分たちが理解できない対する恐怖や拒絶だと理解している。
私は何かを信仰しているわけではなく、宗教思想を哲学として大学で学んでいたにすぎないが、
これが特定の信仰がある人だったらどうだったろう、と思う。
絶望したかもしれない。怒ったかもしれない。

「宗教」という言葉に対して日本人はとても敏感だと感じる。
クリスマスを祝い、初詣に行き、ご先祖様の墓参りをして、神社で願掛けをしてお守りを買ったりするくせに、「宗教」という言葉を親の仇のように毛嫌いする人のなんと多いことか。

日本でも過激な信仰を持つ宗教団体が起こした他の人を巻き込む事件や騒動が起きている。
世界に目を向ければ、もっと大きなテロや、戦争も。だからその原因とされる宗教というモノそのものを「怖いもの」として理解すら拒み遠ざけることはある意味自然な反応かもわからない。

私は大学の授業ではイスラム教、キリスト教、ユダヤ教など世界の様々な宗教に関する概論を履修した。個人的な興味もあって色々本も読んだ。
そうするうちにニュースで報道される宗教関連でおこる世界のさまざまな出来事の概要もそれぞれの思想に基づいた根拠をもって少しは理解できるようになった。

宗教というと、日本では熱心に特定の信仰を持つ人は多くないし、あまり馴染みのないように感じるかも知れない。
だがそれらはどうしようもないほど育まれてきた文化や価値観に大きな影響を及ぼしている。

さまざまな宗教やそれぞれの世界観、思想を知ることは視野を広げて価値観の異なる相手への寛容さに繋がるだけでなく、外国の方とのコミュニケーションや世界情勢の動きに対する理解を深めることも助けてくれる。

ネットもあるし本もある。
情報なんかいくらでも手に入れられるのに、表面的な偏見だけで自分には理解の及ばないところが少しでも相手に「余所者!」と石を投げるなんて、中世ファンタジーの村人でもあるまい。

相互理解の努力を投げ出して拒絶の殻に閉じ籠ることはしたくないものだ。

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