楽になるには「足るを知る」こと
先日、Twitterのスペースで語った「足るを知る」。
一般的には、人を羨まず、今ある状況に満足できる人は心豊かで余裕をもって過ごせるという意味で使用される。
元は老子の「道徳教」の一節で「知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽。」に由来する。
まずは書き下し文と共に訳そう。
知人者智、自知者明。
人を知る者は智、自らを知る者は明。
(人を理解するには知恵がいる、自分を知る者は人を理解する以上の知恵を持つものだ)
勝人者有力、自勝者強。
人に勝つは力ある者、己に勝つは強き者。
(他人に勝てる人は力のある者だが、自分自身に勝つことが出来る者は真の強者である)
知足者富、強行者有志。
足るを知る者は富み、強めて行う者は志を有す。
(自分が持っているもので満足している者は心が豊かで、努力し続ける者は志を持っている)
不失其所者久。
其の所を失わざる者は久しい。
(自分の有り様を見失わない者は長生きをする)
死而不亡者壽。
死して而し失わざる者は壽し。
(死んでもなお自分を失わない者は本当に意味で長く生きる)
中国語初心者の私が訳したので上手く訳せたかどうかはさておき、大筋の意味は間違っていないと思う。
なぜ、これを伝えたのか。
簡単な物事を小難しく混ぜくって、生きづらい考え方をしている人間が非常に多いと感じたからだ。
人の目など自分の思い通りにならないものだ。
他人は見たいものしか見ないし、見たいようにしか見ない。
自分がどう見られているのか気にするのは別に構わないが、自分がどう見られたいのかを明確にして見せたい自分を見せる努力をしているだろうか。
こうした努力もせずに人の目を気にしても何も変わらない。
自分にとって得るものがないどころか、奪っていく人間ばかり増えたと感じるのならば、奪いやすい自分を人に見せている可能性が高いことに気付いたほうが良い。そのためには自分を知る必要がある。
楽に生きるために、読者が何かを得られればと「足るを知る」この一節を訳したわけだが、得るものはあっただろうか。
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