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読書記録①

村田沙耶香さん著書の「コンビニ人間」を読んだ。

久々に図書館へ行って、本を読みたい気持ちが爆発してたくさん借りてきてしまった。
その時読みたくて、貸出中で借りれなかった本も予約してみた。自分の順番が回ってくるのが待ち遠しくて、毎日図書館のマイページ開いて、自分が回ってくる順番を確かめている。数が少なくなってくるとちょっと嬉しい。(暇人か)

タイトルに戻るが、コンビニ人間を読んで、何とも言えない気持ちになった。読んでいて少し自分も息苦しくなった。
今は少し前よりも、所謂少数派の意見が浸透してきているが、それでも息苦しさを感じるのではないだろうか。

休職している中で、私自身が「多数派」の意見が正しいと思って生きてきた事を痛感し、少しでも自分が生きやすくするためには、少しずつ多数派の意見を剥がしていく方が気が楽なのかなと感じている。
例えば、正社員でないと安定してない、だとか、結婚したら子供がいなければいけない、だとか。

そんな自分にとって、嫌と言う程世間で言う所謂「普通」をこれでもかと感じさせられる表現が並んでいて、心臓がきゅっとした。
(文章がいけない訳ではなくて、今の自分には刺さりすぎて1人で辛くなってるだけです、すみません...)

そもそも普通って誰が作り出したんだろう?
正社員でなければ〜、は、そうしないと国が回らないからなんだろうか?
休職していて痛感しているが、やはり生きてくためには最低限お金は必要不可欠で。
お金が無いと物も買えない、経済も回せない、子供も作れない、それなら「お金を稼ぐ」事をデフォルトにすればいいんだ!的な感じだろうか。
それから、人はいずれ歳を取ってしまい、働けなくなってしまうから若い人を常に補填しなければならない、それなら結婚したら、子供がいる事もデフォルトにしちゃおう!的な感じだろうか。(ズレてた事言ってたらすんません..)

こちらからしたら溜まったもんじゃない。
なぜ普通を押し付けられて、所謂多数派じゃ無い人が生きづらさを感じなければならないのか。
自分がしたいように生きればいいじゃないか、強制しないでくれと思ってしまう。
多数派の意見が悪い訳ではないのに、「派」なんて付けたら何となく対立する構図になってしまうのも悲しい。

そんな私も小学生の頃は、『28歳までには結婚して、子供がいて、ゴールデンレトリバーを飼う』って言う夢というか願望を持っていた気がする。(なぜゴールデンレトリバーなのかについては、思い出や語りたい事が湧き出て来たので、それについての記事も書きたいなぁ。笑)
小学生の頃は今みたいに当たり前に疑問を抱く事は無かったから当たり前なんだけど、今思えば不思議だなぁと感じる。
当時から月日は経つけど中身にそれほど変化は無いと感じていたが、そういう意味では大人になったのだろうか。

大学時代のバイト先に女性の店長がいたが、当時ヒモの彼氏がいるから大変だと嘆いていた事を思い出した。
その店長は40代位の方で、性格も穏やかで何なら目もクリクリしていて童顔で可愛らしい人だったのに、なぜヒモ彼氏と一緒にいるのだろう?と思いつつ話を聞いていたが、もしかしたらそういう事だったのかな。
なんて思いながら、読み進めた。店長元気にしてるかな?

お風呂行ってあったまってこよう。

(コンビニ人間の白羽さん、最後正直寂しいのと同志っぽい人が出来そうだったのに、それがいなくなりそうで悔しい気持ちもあったのかもなぁ。)

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