なぜ「できないこと」を「意識の問題」にしてはいけないのか

コロナウイルスの蔓延が悪化してきました。収束は未だ見えない状況です。

さて、標題のことについてですが、「できないこと」について読者の皆様が考える時、特に「できないこと」をなかなか「できること」に改善できない時

私(あの人)は意識(意志)が弱いから〜 

って考えたことはないでしょうか?

これなんですが、状況の改善を目指す上での考え方としてはあまりいい方法ではありません。なぜかと言うと

単なる個人攻撃や言い訳で終わってしまい、何の改善策も提案しない

からです。 


他にも、こんな会話はないでしょうか?

Aさん「なんで、そんなに意志が弱いんだい?」→Bさん「それは、心が弱いからです」→Aさん「なんで心が弱いんだい?」→Bさん「それは意志が弱いからです」

というように、意志が弱い原因を探る話をしていく内に、ループにハマって全く話が進まなくなることがあることがあります。

とまあ、できない原因を意識や意志の問題にしていくと、問題の原因や責任を個人に求める傾向(自己責任論)が強くなり、かつ会話がループにハマりやすくなります。


世間話程度の話なら、まあまあそんな口うるさく言わなくても...で済んだかもしれません。

ただし、今Twitter等で話題になっているコロナウイルスにまつわる出勤や外出自粛について、これがうまく進まない理由を個人の意志の問題に還元してしまうのは、危険であると私は考えます。

例えば、低給与のため貯蓄ができず、出勤してお金を稼がないとどうしても生活が成り立たない人々はどうでしょうか?

他にも、テレワークに置き換えが難しいあるいは不可能な医療や福祉(特に介護)、運送などの人々はどうでしょうか?

このように勤労行動と(働いた給与から購入する物品やサービス等による)生活維持が強く結びついている人、ライフラインを支えるなどの職能上の性質から自粛ができない人がいます。

これらの人々の外出を抑えてしまうと、生命の危険に晒される人々がたくさん出てきてしまいます。

別の観点になりますが、自粛が困難な職業の方がコロナウイルス感染を恐れて一斉離職をした場合、現場の運営が成り立たなくなるなどのリスクがあります。

こうした観点から

自粛による貧困や生命の危機を防ぐための配慮を行って自粛が可能な人を可能な限り増やし、ライフラインを支える自粛が不可能な人の離職を極力防ぐ

ということが大切であると考えます。

人々の役割や都合によっては働かざるを得ない場合があり、意識の問題(とそれに伴う自己責任論化)は、それらの人々の生活を脅かし、ますますコロナウイルスの脅威を強めるものだと思います。

こうしたことから、「できないこと」を意識の問題化することは現在の社会においては非常に危険なことだと考えます。

現政権は政府の「要請」に基づく自粛と自己責任論の色合いが強く出ていますが、働かないと生活を維持できない人がいる、ライフラインを支える人々が必死になって現場を維持しているということを知り、それらの人々を支える取り組みを行って頂きたいと思います。

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