教育のオンライン化から考える新たな権利

私のいる会社は介護職のため、オンライン化とは無縁の仕事をしています。しかし、昨今の社会情勢が気になるので、電機屋に行ってみますと、とにかくまあSkype等に使うカメラやマイクがない。

店員さんに聞いても「オンライン化で需要が一気に伸び生産が追い付いておらず、当面入らないです」と言われてしまいました。他にも店員さんの話を伺っている内に、コミュニケーションがパソコンや携帯電話などを介したものに一気に偏ってきていると思いました。

これを聞いてふと思ったのが、教育のオンライン化は大丈夫なのか?ということです。

全ての家庭にパソコンや携帯電話があるわけでもなく、また通信用のヘッドセットも買えるかわからない状況、こうした状況で教育が成り立つのか?と疑問を感じます。

教育を受けるにあたり、それぞれの児童生徒学生の家庭に「オンライン化」についていける通信設備があるという新たな「前提」ができてしまっていると思います。

特に、義務教育で必要な教育の欠落が起きてしまうと児童生徒のその後の人生に大きな悪影響を与えてしまいます。そのため、こうした新たな教育を受ける「前提」が生じたことは大きな問題だと思います。特に低収入世帯の子女が大きな悪影響を受けることが容易に想像できます。

コロナウイルス蔓延で収入が減少する家庭もある中、各家庭の自助努力に頼るのには限界があると思います(というか既に限界だと思います)

収入が少なくとも衣食住を得る権利、医療を受ける権利など様々な権利が現行福祉制度にありますが、新たに「通信の権利」という新たな権利が求められる段階が来たのではないか、と思います。例えば、低収入世帯の人々が携帯電話やパソコンを購入するにあたり行政が資金援助を行うなどです。

教育という国民が受けなければいけない権利が脅かされている今、これを守る支援制度ができることは非常に自然なことだと思います。特に義務教育という生きていく上で最低限度の知識や技能を得られるか得られないかが、各家庭の収入の多寡で決められてしまうことはあってはならないと思います。

福祉職として(今の私がSWと名乗るのはあまりにおこがましいと思いますので)今ある制度を当たり前と思わず、現在と制度ができた時を比べ、何が時代の中で変わり、何が(当事者から)求められるようになった、あるいは権利が脅かされるようになったなど、「大きな歴史の流れの先端部」に私はいて、今後どうやって新しい福祉の歴史を作っていくのか、ということについて考えていきたいと思います。

偉大な福祉研究者、官僚、大きな支援団体のリーダーのみが福祉の歴史を作ってきたわけではなく、障害児者の親などの小さな言葉や訴えが集まり、大きな流れとなり、歴史を変えていったということは福祉の歴史上存在しています。

一介の支援者だからこそ気づける、当事者にまつわる小さな疑問を大きな流れに育てていく、こうした精神を忘れないようにしたいと思います。


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