私が音楽している理由 1

つまらない話です。スルーしてもらって構いません。

二つ目の記事を書こうとして思いついたのが、こんなんです(笑)


1972年3月6日、この日の夜、私は壊れました。

中学2年生14歳、学校が終わってから、私を入れて4人の友達と、

当時、千駄ヶ谷にあった東京体育館に向かいました。

あるロックグループの公演。


あ、私、ロック好きです。

たくさん勉強したのはクラシックです。特に作曲とピアノ。

でも、身体に流れている血は、まぎれもなくロックの血です。

そのことを疑ったこと、一度もありません。


演奏が始まりました。

信じられない光景と音が、私を包みました。

音と光の洪水。限りなく美しかった。

感動を通り越して、ショックでした。


演奏と光景について、ここではあまり、具体的には書きません。

今日は、とにかく美しかった、とだけ、表現させてください。

1972年3月6日、この日の夜、私は壊れました。

そしこの日、家に帰りませんでした。


帰りたくなかったんです。

無理を言って、知り合いの家に泊めてもらいました。

そして次の日から、学校に行くのをやめました。

今でいう不登校、当時は、登校拒否と言っていました。


と言ってもまだ中学生、結局は家に戻り、

少しずつ、学校にも行くようになりました。

しかしこのとき覚えた、「学校に行かない快感!」

いつまでも、この癖に憑りつかれたままでした。


それまで、学校でも家でも、自分でない誰かに言われるがまま、

我慢して我慢して生きていたんです。

あの夜、張り詰めていた糸が、切れちゃったんです。

プツンと音を立てるように。


あの夜以来、我慢して我慢して生きることが、

できなくなっちゃったんです。

やりたいことを、やりたくなっちゃったんです。

目覚めちゃったんです、自分のやりたいことに。


今日はここまでにします。

実につまらない話だったと思います。

読んでくれた方、ありがとうございました。

感謝感謝感謝!








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