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2022年10月21日(金)    藤澤仁奈 マリンバリサイタル     天使が地上に舞い降りた夜 その5

天使は何を語ったのか           曲、ひとつひとつ その4

曲のお話も、リサイタル最終曲と、アンコールを残すのみとなりました。 藤澤仁奈さんの昨年のリサイタルと今回のリサイタル、二つを聴いて、私はリサイタルの、そしてコンサート、演奏会の意味を考え直さなければならなくなりました。

藤澤仁奈さんは「リサイタルかくあるべし」というお手本を示してくれたと思います。記事の副題は、「天使は何を語ったのか」ですが、そう、天使は「リサイタルとは、このように・・・」と語ってくれました。

昨年の自分の記事を思い出します。私は記事で「こんなマリンバ奏者がいるという事実を、多くのマリンバ奏者や打楽器奏者は、知らないほうが幸せでしょうね(笑)。これ見て聴いちゃうと、もう奏者としての自分を保てなくなるかもですよ。それでも見たいですか?どうなっても知りませんよ。」、と申し上げました。

そしてそれはそのまま私自身にも降りかかってきました。私はマリンバ奏者ではありませんが、恥ずかしながら、私自身も「リサイタル」を計画していました。しかし藤澤仁奈さんの、2つのリサイタルを聴いた今となっては、これ根本から考え直さ・・・あ、いや、そんな難しい言葉で誤魔化そうとしてもダメですね(笑)。そうではなく、なんか・・・

「あんたがリサイタル?・・・ふふっ(鼻で笑われている)そう、頑張ってね、ふふっ(鼻笑い)」とか誰かに言われそうな気がして・・・💦

ネコは常に人を見下している(笑)

では、最後の曲感想です

7 E・セジョルネ作曲 フーリア

委嘱作品だそうです。つまり藤澤仁奈さんがセジョルネ先生に「私のために曲を書いてください!」と言い、セジョルネ先生は藤澤仁奈さんのためだけに、この曲を構想し、ペンを走らせ、書き上げたのです。なのでリサイタル冒頭の「ニナのバラード」と同じくらい、藤澤仁奈さんへのストレートな愛の詰まった音楽です。

それ故、演奏する藤澤仁奈さんも「私だけのための音楽」として、曲に没入する事ができ、結果、それはそれは、本当に魂の籠った演奏になりました。

クラシック音楽の歴史を振り返ってみると、リストが史上初めて「独奏会」つまりは「リサイタル」を催して以来、演奏家と作曲家は、今回のこの夜と同じ形の関係が始まったのです。演奏家は「自分の為に作られた曲を演奏したい!」と望み、作曲家は「自分が気に入った腕の立つ演奏家に、私の曲を演奏してもらいたい!」と望んできました。

そして今回のこの夜、リサイタルというものがこの世にあらわれた時と同じように、演奏家と作曲家が共に望んだ通りの形で「リサイタル」が開催されたのです。本来あるべき「リサイタル」が理想的な形で具現化したのです。

そういう意味でも、藤澤仁奈さんは「リサイタルとは、このように・・・」と語ってくれたのです。そして藤澤仁奈さんの1stアルバムのタイトルは、奇しくも「リサイタル」です💦もう、私などが言葉で表現する必要などありません。「リサイタル」の理想形が、ここにあります。

この曲の演奏について、私自身の本当の感想を書く前に、作曲家としての、冷静客観的な通常の感想を文章にしてみますね。

セジョルネ先生は作曲家としても素晴らしいです。よくぞこんな音を思いつきますね!という音型のオンパレードでビックリします。それと同時に私が強く感じるのは「ああ、フランス人の音楽❣」です。「フランスの音楽」ではなく「フランス人の音楽」を、強く感じています。

どういう意味かというと「自由」なんです。ドイツ人や日本人の音楽には、「がっちりと構築された構成力」を感じますが、そのかわり「自由な」感じがあまりしません。セジョルネ先生の音楽は、少なくとも私は、ドイツ人や日本人にはない「自由さ」を感じます。

言葉では表現しにくいのですが、その一端を言葉にしてみると、

ドイツ人や日本人なら「今は21世紀なんだから、使う和声も相応に21世紀的なものにしないといけないし・・・」という「構成の力・・ある意味、不自由さ」に対してフランス人作曲家たちは、きっとこう言うと思います。「時代に合う和声?・・・関係ないね、私は好きに書くのさ(笑)」と。

フランス人作曲家たちには、そういう自由さを感じます。では次に、

冷静客観的でない主観的、個人的感想👆

さあて、これより自由に書かせてもらいますッ❣(笑)                この曲はピアノなし、マリンバ独奏曲でした。楽器配置も第1部の独奏とは異なり、言葉では説明しにくいですが、この曲だけ ステージ中央ながら、楽器と演奏者が客席と正対するのではなく、下手側低音部が、やや客席側に近付いた形をとっていました。その理由を100%説明する事は私には出来ません。今度藤澤仁奈さんに会った時、ご本人に聞いてみたいと思います。

この曲の最初から最後まで、美しい音、素晴らしい演奏でした。それ以外での私の感想は、ただ1点👆

マリンバから「あり得ない音」が出ていたんですっ💦💦💦

曲の終盤、藤澤仁奈さんは、最高音部の一つの鍵盤を何度か・・・3回ほどだったと思います・・・fff、つまり最強音を鳴らしました。私の感想は、この1点👆❣

その他の事が、頭から全てなくなってしまうほど、この音が衝撃的でした❣衝撃の理由は明快。「マリンバから出るはずのない音っ」だったからです❣❣どういう音だったかと言うと、ただ大きいだけでなく、ホールの一番奥まで突き刺すような音でした。

何故こんな音が出たのか、私なりに分析してみます。マリンバの発音源は、木製の音板です。それを主に木製でフエルトを被せたマレットで叩きます。つまりは木と木がぶつかり合う音を出す楽器です。マレットの質量は小さいので、音板を破壊したり、マレット自体が破壊されることはありません。

というか、マリンバの音板とマレットは、そのどちらもが破壊されないように、ちゃんと計算して作られているんです。ところがです、その数発の音は

木製の構造物が破壊される時のような、不規則な倍音を含んでいたんですっ❣❣

ああ、判りにくいですね💦、判りやすく書きなおしましょうね👆

「入力過剰音」が出ていたんですっ❣

まだ判りづらいですか❓では、少々説明させてください。「入力過剰音」は、奏者、特に電気楽器奏者(電子楽器奏者ではない)が「強烈な表現をしたい時」に、電気回路の中で信号を意図的に入力過剰にして、出す音です。あるいは、電磁マイクの入力許容範囲を超えるような電圧を生む強烈な発音をすると、このような音が出ます。これを使うと、強烈な印象の表現になりますが、あまりに印象が強烈なので使い過ぎないように留意すべき音です。

電気を使わない楽器奏者の場合でも、楽器自体から入力過剰音を出すことは、出来なくはありませんが・・・。音程の無い打楽器からは、ほぼ常に、それに近い音が出ています、が、マリンバから出る事はありません。何故なら、マリンバは、そういう音が出るようには作られていないからです。ちなみに、ピアノからそういう音が出る時は、主に弦が切れる時です(笑)。私、若い頃はよく弦が切れました(笑)。

あ、なんか益々判りづらくなっちゃったみたいですね(笑)💦ともかく、マリンバの音板からは、通常、不規則な倍音は出ないのです。ところがこの夜、セジョルネ先生の曲の終盤で、数発だけ、

「不規則な倍音」が出ていたんですっ❣つまり、「あり得ない音」が出ていたんですっ💦💦💦

演奏上の音楽的効果は絶大でした。超強烈な音が会場の後ろの壁まで突き刺しました❣ 素晴らしい効果でした❣ マリンバで、こんな音の出せる奏者はおそらく日本にはいないと思います。藤澤仁奈さん、あなたはとうとう、こんなスゴイ音まで、出せるようになってしまったんですね👆

もしセジョルネ先生が会場にいて、この音を生で聴いておられたとしたら、それはそれはご満足されただろうと思われます。

私も衝撃を受け、感動しましたが、余計な心配かもしれませんがあの音板、ちいと心配です。相当な負荷がかかっていたはずです。あの音板、無事でしたか❓無事であった事を祈りたいと思います(笑)

8 アンコール マスカーニ作曲 カヴァレリアルスティカーナ間奏曲

アンコールとして最後に演奏されたこの曲、私の大好きな曲でした。自分でも何度も演奏し、この曲の音、スコアの隅々まで知り尽くしています。

セジョルネ先生のフーリアがエネルギー感満載の曲でしたので、アンコールのこの曲は、ホッとして、穏やかな気持ちでリサイタルの鑑賞を終える事ができる、極上の清涼剤となりました。

コロナ禍、多くの演奏会が最後のロビー挨拶を自粛してきましたが、この夜の演奏会は、マスク着用を条件に、最後のロビー挨拶が可能となり、嬉しかったです。私も最後に、藤澤仁奈さんに一目だけご挨拶して、会場を後にしました。

3500字を超えてしまいました。今日はここまでにしようと思います。    これでようやく、曲の感想を終えましたが、次回はこのシリーズ最終回として、藤澤仁奈さんの周りにいる方々の事を少々お話させていただき、このシリーズを終えたいと思います。

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