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時は流れて現在の私 10

「現在の私」とか言いながら、記事の内容は幼少期のお話ばかり・・・このギャップ、申し訳ありません。ちゃんとそう思いながら作っています。ただ現在の私の頭の中が幼少期の記憶ばかりが駆け巡っていることは事実です。理由はよくわかりませんが以前は死期が近いのかな、と書きました。

もう一つの理由が思い浮かびました。逃避ですね、逃避。辛い現実から逃げ出したいんです、多分。つまり、今は辛いんですかと問われれば「はいっ、辛いんですっ!」と、力いっぱい答えます。そして今のこの辛さから解放されたら、私は今のような記事を書かなくなるのかなあ・・・?

と自問すれば、それはその時の忙しさ次第になると思います。今の辛い現実から逃避できた心地よさを、そのまま求め続けるでしょうが、仕事がうまくいって、物理的に忙しくてたまらなくなったら、逃避なんかしている場合じゃなくなって、書かない、というより書けなくなるかもしれません。

まあ予想としては、現実逃避のための記事が書けなくなるほど、忙しくなるようなことはない気がします。そのくらい忙しくなりたいですけどね(笑)。だからある意味では、この楽しかった幼少期の記事を書いて現実逃避している自分こそ、まさしく「現在の自分」とも言えます。

さて、東京から愛媛県松山市に引っ越しをしました。松山市での住居、前回の記事でお話ししましたが、住居について説明不足を補おうと思います。今まで住んだいくつかの家、その後大人になるまで住まう家の全ては官舎です。官舎とは自宅のない公務員が所属官庁から貸してもらえる住居です。

官製の住居ですから、そうそう洒落た住居であるはずもなく、基本、質素極まりない、家とも言えないような家です。ましてや昭和30年代、40年代です。今の若者さんたちの感覚はきっと、現在の日本は金持ちの国で、世界に君臨する立派な先進国というイメージを持っていると思います。

しかし昭和33年生まれの私は、その頃に生まれた日本人は皆そうだと思いますが、日本は敗戦国。戦争で国の財産を使い果たした貧困な国。欧米諸国に比べると、科学技術も文化水準も遥かに遅れた劣等国家、そういう印象でして、欧米、特にアメリカに対しては、大きな劣等意識を持っていました。

何故、特にアメリカかというと、当時はアメリカの情報はテレビ、ラジオ、新聞等でたくさん入ってきていたからです。そして何よりもアメリカは日本に原爆を落としてこの日本を敗戦に追い込んだ国。そして脱脂粉乳をはじめとする日本への支援物資の多くは、アメリカからのものだったからです。

だからと言って子供の私は、その頃はアメリカに対して、劣等意識こそあったもの、嫌いではありませんでした。むしろ憧れの国でした。特にアメリカの自動車! あれ、カッコよかったんです!未来の車みたいなデザインで、後部両側には羽というか、ミサイルの尾翼みたいなのが付いていて、

それこそ、風を切って走り、そのまま飛んで行ってしまいそうなカッコよさでした。その頃の日本の自動車は、まるで自転車に小さなエンジンを付けたようなのがほとんどで、代表的なものはマツダのオート三輪でしょうか。オート三輪なんて、知ってますか?その名の通り三輪車ですよ三輪車。

これ、隣のトトロの冒頭に出て来ます。メイとサツキとお父さんと運転手さんが乗っているアレですアレ。かろうじて自動車に分類されるようですが、当時のアメリカ人が見たら、本当に自転車の一種だと思ったでしょうね。そんなオート三輪が走る、というか、トコトコ動き回る町で育ったんです。

愛媛県松山市に引っ越して、初めて「転校」というのを体験しました。いろいろ驚きました。松山市立湯築(ゆづき)小学校。この学校の授業で覚えていることは、ただ二つだけです。そのうち一つが、確か社会科の授業です。アメリカの道路は80%が舗装されている。日本の舗装率は8%であると。

アメリカと日本の差を、いやというほど知った瞬間でした。1960年代のアメリカの自動車、カッコよかったです。当時のアメリカの自動車は、とにかく大型車が多く、排気量も5000㏄とか6000㏄が普通でした。日本の自動車は360㏄の軽自動車を始め、800㏄とか1000㏄とか。

自動車の好きな私は、この差をアメリカと日本の差として感じていました。湯築小学校の6年生の授業では先生が授業中に、アポロ11号のアームストロング船長が、月面に降り立つ瞬間を、教室のテレビで見せてくれました。感動しました。そして同時にアメリカの素晴らしさを感じました。

その頃の日本の宇宙開発は、まだまだ黎明期以前と言ってよく、ペンシルロケットという、鉛筆を少し大きくしたような、ロケットとも言えないようなロケットを飛ばしていた時代でした。宇宙好きでした。小学生時代は休み時間の度に図書室に行き、宇宙の星空を映した写真の本ばかり見ていました。

未来世界を描いた図鑑を見るのも好きで、当時の想像では、21世紀になると自動車は皆「エアカー」になるだろうと言われていました。「エアカー」とは、車体の下から空気を吹き出し、その反動で浮いたまま走る、というか、飛ぶというか、そうなるだろうと言われていました。

すでに21世紀になって21年(シャレではありませんが(笑))になりますがエアカーなんて影も形もありませんね(笑)。その時の図鑑「未来の世界」には、近未来の21世紀にはきっと実現するだろうという但し書き付きで、本当に夢のように素晴らしいものがたくさん描かれていました。

しかし21世紀の今、実現しているのは、テレビ電話くらいです。あとの「月の基地」とか「火星探検船」とか「光線銃」とかは何一つ実現していませんね(笑)。あ、光線銃って言うのは非常に昔風の言い方で、今はあまり使われない表現ですね。何度か書きましたが、私、兵器には少々詳しいです。

レーザー光線は今でも存在しますね。コンサートとかで実際によく使われています。もしレーザー光線を武器にできたなら、本当の光線銃になります。が、武器にできるほどの威力をレーザー光線に持たせるには、現代の科学では、発電所一つ分くらいの電力が必要で、とても実用化できませんね。

光線ではなく、何らかのビームを照射して武器にする技術は、実は今でもあります。粒子ビーム兵器というやつです。研究は進み、ロシアはこの技術ではアメリカより10年ほど進んでいるともいわれていますが、公開はされていません。しないでしょうね。あまりに威力が大きすぎるのです。

この技術も、武器にするには発電所一つ分くらいの電力が必要ですし、これを小型化する技術もまだありませんから、現代の技術では、固定砲台にするのが精一杯だと思われます。でも固定砲台からこのビーム兵器を発射すると、衛星軌道上の敵の衛星を破壊できるそうなので、威力は絶大です。

ただし戦艦(今は戦艦という艦種はなく戦闘艦は駆逐艦とか空母とかです)や宇宙船にこの兵器を搭載するのはまだ無理です。小型化できないんです、まだ。ガンダムのメガ粒子砲やビームライフルなど、まだまだ夢の世界の話なんです。今現在ある兵器でそれに近いものは、レールガンでしょうか。

レールガンとは、簡単に言うと物体(金属片)を、磁力で加速して打ち出す装置です。アメリカが最も進んでいるようです。実際にあります。陸上での実験映像は、ネットで見ることができます。アメリカはこれを戦闘艦に搭載しようとしているようです。すんごい威力みたいですよ。

あ、すみません、兵器の話になると止まらなくなっちゃうんです。今日は、ここまでにしようと思います。読んでくださった方、大変ありがとうございました。次回は「現在の私 11」で松山市の小学校の様子とか、道後温泉とかのお話にしたいと思います。お楽しみに。

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