【執筆記録】情報誌「すべての人の社会」(日本障害者協議会(JD)、2015年)

日本障害者協議会(JD)の情報誌「すべての人の社会」2015年1月号内の「障害のあるわたしの生き方」に掲載していただいた文章です。

「障害と向きあって生きる」

1.私の生い立ち
 「私には、筋肉の力がだんだん弱くなる障害があるんよ。歩くことが難しいから、電動車いすが私の愛車なの。かっこいいでしょ。」大学時代から続けている小中学校における福祉実践教室で、私の障害を子どもたちに伝えるときの言葉です。私にはウルリッヒ型先天性筋ジストロフィーという障害があります。
 山口県岩国市出身で、中学校までは地域の学校に通い、高校は特別支援学校に進学し、地元を離れ学校に隣接する病院に入院する形で3年間過ごしました。通常学校で学んだ9年間、そして高等部で過ごした3年間は、私にとって間違った選択ではなく、大切な宝物だと感じています。高校3年間一緒に過ごした子どもたちから、大学に行きたい、特別支援学校の教員になりたいという夢を持つきっかけをもらいました。大学進学を機に愛知県美浜町で下宿生活を始めました。大学では夢に向かって、大学内外でたくさんのことを学んできました。大学4年間を通して「初めて記念日」や人とのつながりがたくさんできました。

2.障害の受容は人生の課題
 高1の冬、体調が優れない日が続き、検査の結果「人工呼吸器を使った方がいいね」という主治医の言葉に「私はそんなに大変な障害なんか」と思い知らされたことを覚えています。それまでは深く自分の障害について考えたり、親に聞いたりすることもなかったのです。初めて親から障害について話をしてもらい、一緒に泣きました。「まこには世界に羽ばたいてほしい」母の言葉です。そのころから自分の障害と向きあうようになったと思います。自分の障害を知ることで、可能性が広がると思えるようになりました。
 しかし、障害と向きあうことが苦痛なときもあります。これまでの経験の中で、一番障害が邪魔になったのは教員採用試験に落ちたときです。「落ちたのは障害があるから?」と自分の障害を否定していました。私にとって初めての挫折でした。「障害の受容」という言葉がありますが、私はそれに答えはないと思っています。「障害の受容は人生の課題」だと、初めて障害と向きあった高校生のときから思っていることです。社会に出ると「障害がなかったらよかったのに」と思うことは多々あります。しかし、今の自分が在るのは、障害のある私が得た経験、学び、たくさんの人との出会い、つながりがあるからこそなのです。「障害なんてなくなればいい」「障害があってよかった」と浮き沈む「そんな自分もなんかいいじゃん」と思えることが、自分らしく生きていくことなのではないかと思います。

3.夢を持ち続けること
 2014年3月に日本福祉大学を卒業し、名古屋市でヘルパー制度を利用し一人暮らしをしながら、豊田市にあるNPO法人にて、当事者スタッフとして勤務しています。地域で暮らす障害のある人たちのサポートや、特別支援学校高等部を卒業した人たちが通ってきている「働く場」「経験の場」に携わらせていただいています。他には地域の小中学校等における福祉教育の講師もさせていただいています。障害のある当事者の目線になって、障害のある人と地域、社会との架け橋という役割を理解し、様々な人たちとかかわりながら楽しく仕事をしています。
 特別支援学校の教員になるという夢は、私の進む道の障壁になったこともありました。しかし誰でも夢を持っていていいし、諦めなくていいと私は思います。その夢は、もしかしたら手段や形は変わるかもしれないけれど、どんな形であれいつか叶えたいと思っています。夢を持ち続けることが大切なのです。私の人生の主人公は私。自分で決めた道を歩いていきます。



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