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【執筆記録】機関誌「みんなのねがい」(全国障害者問題研究会、2018年4月号)優生思想とどう向き合うか

全国障害者問題研究会の機関誌「みんなのねがい」2018年4月号内の「優生思想とどう向き合うか」に掲載していただいた文章です。

優生思想とどう向き合うか

「あんたは若いのにかわいそうね」とエレベーターに乗り合わせた年配の女性に声をかけられました。電動車いすに乗って移動している私の姿を見てそう声をかけたのでしょう。咄嗟のことに「私は一度も自分のことをかわいそうだなんて思ったことはありませんよ」と答えてエレベーターから降りました。ただその言葉には偽りがありました。

ウルリッヒ型先天性筋ジストロフィーのため、身の回りのことに介助を必要とし、物心つく前から車いすを使って生活をしています。周りの友達と何か「違う」と感じながら、小中学校は地域の通常学級で学びました。母からは「取柄は勉強しかない」と言われ、「勉強ができなければみんなと同じクラスにはいられない」と試験では学年上位をキープ。そのころから、勉強ができることに人としての価値があり、存在を許されるのだと思い始めました。健常者に近づくことこそが、私の目標だったのかもしれません。私立高校受験で、車いすを理由に受験拒否をされたことは、私にとって初めて自分の存在を認めてもらえず、今思うと差別の経験だったのだと思います。自分をかわいそうな人間だと思っていました。

「できる/できない」で人の価値を判断するのではなく、どんなに障害が重くても「発達」し続けるという考え方に出会ったのは、特別支援学校高等部に進学して全障研を知ったことがきっかけです。周りには私よりも重度の障害のある子どもたちがいました。それまで健常者の社会の中で生きてきた私にとって、とても新鮮な環境でした。人の手が必要な私は、絶対に自立できないと思っていましたが、様々な人とつながって、依存できる環境を作っていくことこそが自立なのだと思えるようになりました。だからこそ、今私は私の人生の主人公になれているのです。障害は自分の責任ではなく、社会が作っている(社会モデル)という考え方にも出会い、「大変だな」と感じたり、周りの環境(バリア)に腹を立てたりすることはあっても「かわいそう」と自分を卑下することはなくなりました。

冒頭の年配の女性は、実は足が不自由で歩行が難しそうだったのです。きっと彼女も困難さを自分の責任だと背負い込んできたのではないでしょうか。母の私に対する発言も、同じだったのではないか。依存できる環境がなかったのではないか。障害は社会が作っているのに、周りの環境が、自分自身に責任があると押し付けているのではないか。だから身体的に似た状況の私を見て「かわいそう」という言葉が出たのではないかと思うのです。優生思想はきっと誰の中にもあるのでしょう。正直、未だに健常者と比べてしまう自分もいます。健常者の考え方が正しいと思って、言いたいことが言えない。そこにはまだ、私にとって「できる/できない」で価値を決める優生思想が根強く残っているのだと思います。そこに気づくことが大きな一歩なのではないでしょうか。私自身も優生思想と闘い続けていかなければいけません。
「ただ無条件に生きていていい」のだと、存在することに価値があるのだと伝えていきたいです。たくさんの人たちとつながり、今ある資源を使いながら私が自分らしく生活していることを伝えていくことも、私だからこそできる優生思想を対峙する方法なのかもしれません。

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